イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

まるでチューリップ

11月15日(日)

金曜日までは気持ちが良い秋晴れだったのに、週末はぱっとしない天気である。

イタリアは、いわゆるロックダウンであるレッドゾーンが今週末からまた増えた。

ラツィオ州はまだまだ黄色だけど、全国的なロックダウンを避けるために州別のレベルに分けたこの措置、まるでチューリップの色みたいだ。赤、黄色、オレンジ…。あ、チューリップはオレンジではなく白だったか。イタリア人はまた諧謔を発揮して、「2020年クリスマスのイルミネーション」と題して赤と黄色とオレンジが点滅するイタリア半島の絵がメッセージで送られてきた。

わが家についていえば夫がピリピリとしていて、私の誕生日があった10月上旬から外食はさせてもらえない。

わが町の町民が作るFBのアカウント上でも、コロナで亡くなった人へのお悔やみが増えて、心情的にはすっかりロックダウン状態になっている。

 

フランスがロックダウンに踏み切った翌日、母が焦ってEMSを送ってくれた。これがなかなか届かずやきもきすることになった。飛行機の便がないためか、10日以上も名古屋に留め置かれていたのである。イタリア半島を縦断するほうが問題なのに10日以上も日本に留め置かれたら、荷物が付くのに1か月以上は見積もらないといけないと思っていた。

ところが、ようやく日本を出た荷物はミラノから24時間もかからず私のもとに届いた。思うに、コロナ禍でイタリアの物流が効率的に機能するようになったのかもしれない。みんなオンラインでショッピングをしているのだから当然かもしれないけど。

 

5年生になった娘は、今年からギターを習っている。ギターの先生は近隣の町の音楽学校の教師なのだけど、今は自宅で個人レッスンをしてくれる。ピアノを習っていた時には、初老の女性の先生のやり方が好きではなかったのか私が厳しすぎたのか、娘はあまり熱心に練習しなかった。

ギターの先生は男性でまだ30歳、進め方も古いやり方であったピアノの先生とは異なるせいかとても楽しいそうだ。今は体育館で行うスポーツはすべて禁止されているから、唯一外で行われている陸上のクラブにでも通わせようかという話になっている。

 

秋生まれの私だけど、晩秋は好きではなくて新しい本を読もうという気力もない。過去に読んだ本を再び手元において、つらつらと字を追って過ごすことが多い。

母のほうがよほど意欲的に本を読んでいて、私が気に入った本を定期的に送っているのだけど、最近は吉田修一さんの「国宝」をよんで「腑抜けになっちゃった」というメッセージがきた。これまで母が読んで腑抜けになったといってきたのは、平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」、宮本輝さんの「骸骨ビルの庭」である。

70歳過ぎてこれだけ大作を次々読めるのだから、母も元気なのだろうと安心する。CDも送ってくれというので、私の好きなクラシックのCDを聴きアロマを焚いて本を読んだりビーズ刺繍をしているそうだ。だからステイホームも大丈夫、だと。

なにか生活にメリハリがない私のほうがよほど元気がないかもしれない。

今日の午後は栗でも炒って映画でも見ようかな。

 

 

 

 

 

 

 

イタリアは疲労困憊

11月2日(月)

新しい1週間が始まった。

私は今日、ある試験があってロックダウンに入る寸前になんとか合格。ああやれやれ、といったところだ。

今朝は、俳優のジジ・プロイエッティの死のニュースから始まった。80歳の誕生日に死を迎えた彼は根っからのローマっ子で、あちこちで哀悼の空気があふれていた。ショーン・コネリーも亡くなってしまったし、懐の深さを感じる素敵なおじさまたちがいなくなるのは淋しい。

今夜に出るはずだった首相令は、結局政府と各州のトップの話し合いがまとまらず延期された。

50代のコンテ首相もかなり疲れている。だから決断力も鈍っているのかもしれない。

イタリア人も疲れている。今夜のテレビの討論会では、ドイツ人の新聞記者が登場して「春のロックダウンに関しては、イタリア人はドイツ人よりもすぐれていた」と褒めてくれたものだ。ロックダウンを乗り切って、そして佳き夏を謳歌して、これからは経済の復興に向かおうとしていた矢先の第2波。

ドイツ人の記者は、こうも語っていた。

「我々は民主主義の時代に生きている。マジョリティもマイノリティも、同じように意見を主張する権利を持っている。それは当たり前のことだ。問題はマイノリティの多くが、非常時にあたって規則やルールを尊重しないことにある」。

これが本当か私にはわからない。でも、感染ルートを追うこともままならなくなってきた今、わずかな人々がルールを無視することさえもはや致命的であることには同感だ。今日の新聞には、現在欧州で感染拡大しているCovid-19は中国で広がったそれよりも13倍も感染力が強いと書いてあった。恐ろしい話だ。

ロンバルディア州の現場では、もはやロックダウン以外に医療崩壊を防ぐ手立てはないとここ数日言われてきた。しかし、州レベルでも国レベルでもまだその決断が下せないでいる。なんだか責任の押し付け合いになっているのもやるせない。レストランやバールを経営する人たちの苦しみもよくわかるのだけど…。病院が機能しなくなったらどうなってしまうのだろう?

ロックダウンに供えて大量に買い込んだ栗を炒って試験の合格を祝った今夜、10月に私を苦しめていた悩みやわだかまりが解消して久々に嬉しい日だった。

夜のニュースを見て、イタリアおよび欧州のこの冬の厳しさに再び思いを馳せている。春にイタリアの政府と国民が発揮したパワーが再燃しますように(とても難しいとは思うけど)。

今日は朝から気持ちが動揺して仕事もろくにできなかったけれど、夜は好きな本でも読みながら今日の幸福をかみしめよう。

おやすみなさい。

 

首相令連発

11月1日(日)

くだんのサディスティックなクライアントとはきっぱり縁を切り、気分もすっきりした。プライベートでやれやれと思うのと同時に、コロナの感染者数はとんでもない上昇を見せ始めている。

フランスやイギリス、ベルギーやオーストリアに続いて、イタリアもロックダウンがさけられない状況ではないかと噂が流れて、ここ3週間で首相令が次々と発布された。

1回目のロックダウンは物珍しさもあったし、とにかくこれを乗り越えなくてはとイタリア人も納得していた部分があったと思う。それに、季節は明るい夏に向かっていた。日に日に伸びる日脚は、精神的にも良い影響を及ぼしていたのだろう。夏が近づくことはすなわちバカンスを意味していたから、お金を払う客もロックダウン中の損失を取り戻そうとする観光業界も先に希望があったのだ。

 

2度目のロックダウンはどうだろうか。

先日夏時間が終了して、日が暮れるのが一気に早くなった。ロックダウンを行う国々の切なる思い、それはなんとかクリスマスをつつがなく過ごしたいということに集中している。そのためのロックダウンはやむを得ないと思う人がいる一方で、常に犠牲となるレストランやホテルやバールで働く人たちの怒りはもう抑えきれないところまで来ている。

「どうせリモートワークができる人だけが生き残るんでしょ」

とニュースでインタビューを受けていた女性のレストランオーナーがやけっぱちにつぶやいていたのが印象的だった。

とはいっても、こうした苦しでいる人たちを満足させて納得してもらうお金はもちろん政府にはない。どっちを向いても苦しいご時世になってしまったものだ。

1回目のロックダウンが終わった時、コンテ首相は「犠牲を払ってみんなで手に入れたこの成果を無駄にしてはならない」と言っていたし、みんなも心からそう思っていたのだ。しかし、犠牲を払ってもコロナは容赦なく感染を拡大させている。希望は消えて、絶望だけがあらわになってきた。

 

土曜日の日本人学校は、11月からオンラインに切り替わることが早々に伝えられた。昨日はかろうじて対面授業であったけれど、イタリアの学校で陽性が出た生徒は自己隔離となるため登校できた生徒は多くはなかった。

親友が連れて行ってくれた日本食材のお店で、少し多めに食材を買い込んだ。来るべきロックダウンを覚悟しているのか、秋晴れの週末は人があふれている。親友とも、来週からは会うことがかなわない。どちらの夫も神経質で、この状況での外食は禁忌!と申し渡されているのだ。

今日も近くのスーパーでいろいろ買い込んで、食材だけは豊富にある安心感に浸っている。

寒さが迫り冬が近づくこの時期に、再びロックダウンとなるのは精神的にもヘビーだ。足元からしんしんと寒さが忍び寄ってくるような、そんな心もとなさ。

フランスではニースでテロが起こりトルコでは地震。暗い気分に拍車をかけるような事件ばかりだ。

ニュースを見ていても鬱々とするので、昨夜は家族でブラジル人写真家セバスチャン・サルガドのドキュメンタリーを見た。白黒で構成されたドキュメンタリーそのものがとても素敵だったのだけど、画面から浮き上がるサルガドの彫りの深い顔立ちが美しかった。人間の愚かさを見尽くした彼のまなざしと言に、少し励まされた。

ナナミさんはエッセイの中でこんなことを書いていた。

「わたしは、生来の楽観主義者である。なぜなら、人間の馬鹿さ加減にも限界があると思っているからです」

そこまで達観できるほどいろいろなものを見たわけではないけれど、疫病の歴史も乗り越えてきた人間と自然を信じよう。

明日11月2日、新たに首相令が発布される予定。今夜は餃子を作ってお腹いっぱいご飯を食べて、明日からの1週間にそなえよう。

 

 

 

 

静かな秋に抱える地獄

10月17日(土)

今年はcovid-19の感染のため、静かな秋だ。

通常ならば、学校が始まり娘の誕生日があり、日本人学校のバザー、我が家周辺での自転車競技大会、そして栗祭りがありイベント目白押しなのだ。

今年は娘の誕生日以外はすべてキャンセルで、身近はとても静かなのである。

静かでないのは、私の胸の内だ。1か月以上もあるクライアントに悩まされ続けて10月も半ばを過ぎてしまった。ここ数日はもう、「これは自分との戦いだ」と言い聞かせてとにかく縁が切れる日だけを夢見ている。

私は要領が悪い人間なので、仕事をするときはバカがつくほど真面目に真摯に対応する。適当に済ませていいにしちゃおうなんてことは過去には一度もなかったから、楽をするために手抜きをしてるんじゃないかと思われることほど心外なことはないのだ。今回のクライアントの仕事はそもそもテーマがかなり浅薄で、にもかかわらず「濃い内容を書け」なんて注文が来る。火のないところに煙を立たせるのはポリシーに反すると思ってしまう私は、それこそ馬鹿みたいに関連する書籍をキンドルで買い込み、必要とあれば日本の企業にコンタクトを取り、万全の対応をしてきたと自負している。それでも相手が感情的になって怒るものだから、私ってこんなにデキない人間だったのかしらん、と胃に穴が開きそうだった。できればあっちからさっさと契約終了をしてほしいなと思うくらいで、自分自身に恥ずることはなにもない。報酬が良いからといって、クライアントがワーカーを傷つけることが許されるわけがないのだ。

世の中は、善良な人ばかりではない。意地悪で性悪で、人をいじめることが愉しくてたまらないというタイプも存在する。そういう人もいて社会が成り立っているのだから、避けようがない事態だったのかもしれない。夫の弁じゃないけど、これまでが順調すぎたのだ。とりあえず山場は越えて、あとは最後のラストスパート(なんていってるとまた落とし穴があるのかもしれないけれど)だから、とりあえず最後まで走り切るつもり。これだけあちらの無理な言い分に唯々諾々と従ってきたのだから、縦横無尽、臨機応変、今後はなんでも書けそうな気分だ。

内面にこんな地獄を抱えているものだから、実生活ではいつも疲れている。

親友に事情を打ち明けてストレス発散をし、気持ちを立て直すことも頻々だ。夫や娘に対してもいつも不機嫌で申し訳ないなと思うのだけど、彼らはよぶんなことはなにも言わずに励ましてくれる。親友と家族。それだけで充分ではないか。同じような経験をした方からのコメントもあった。コメントくださった方、どうもありがとう!私だけじゃないと思えるだけで力になります。

今日は友人と楽しくおしゃべりをして、とてもいい土曜日だった。ルービンシュタインショパンを聴きながら心のデトックス

さあ、できれば来週中にケリをつけよう!

 

ここ50年で最も寒い9月

9月29日(火)

娘の誕生日イベントも無事に終了し、9月も終わりだ。

先週の土曜日に、クラスの仲良しさん5人だけを集めて誕生会をした。小学校も5年生ともなると、クラス内の派閥意識はかなり高くなるらしい。感染の危険を避けるためにも、普段から気が合う男子3人、女子2人を招待して近くの森林公園でピッツァを食べて遊んだ。この日も異様に寒くて、かろうじて曇っていた午前中は子どもたちはサッカーやピンポンに興じていた。午後雨が降ってくると、私たちが持参した卓上ゲームで楽しみ、見ている私も心が和む。娘の彼氏はとてもおとなしいのだけど、娘が言うのには「今日は彼はとても楽しんでいるのよ」とのことだ。毎度のことだけど、素敵なラブレターが彼から届けられる。

昨日、9月としては初めてのことだが暖房を入れた。タイツ、ヒートテック、ダウンのコートが9月に登場したのも初めてのことではないだろうか。昨日までは冷たい雨が降って、気分は最低まで落ち込んだ。

今日はなんとか晴れたものの、空気は秋をすっ飛ばして冬だ。さすがにまだ暖炉に火を入れている家庭はないらしく、煙突から煙が出ることはないから洗濯物は外に干す。乾きが悪いのでアイロンをかけると、じゅわっと秋の匂いが衣類から立ち上った。

私はもともと、9月という月は体調をくずして精神的にも落ち込むのが常だ。今年は多忙で、そんなジンクスも感じる必要がないかと安堵していたのに、ここ2週間ほどあるクライアントに悩まされ続けてそれは今も続いている。

朝起きてケータイを見ると、このクライアントからの罵詈雑言とも思しきメッセージがガンガン入っている。毎朝のことだから覚悟をして読むのだけど、暴言というのはなかなか慣れるものではないのだ。読んだ後は、しばらく頭が真っ白になってほかのことが頭に入ってこない。ほんとに胃に穴が開きそうなのだけど、最近ではそっちがその気ならこっちもとことん要望を聞き入れて意地を見せようくらいに思っている。反論したところで事態は悪化するだけなのだ。はいはいとなんでも聞いて、さっさと終わらせて縁を切りたい。私は粘り強さだけが身上なのだと苦笑せざるを得ないけど、これまでの自分の仕事の仕方を振り返るいい機会にはなっている。これまでのクライアントさんは、本当に良い人ばかりだったのだ。それは感謝しなくてはいけない。

昨日は、ロックダウンが解除されて初めて夫がトリノに出張した。早朝に家を出て、夜遅く帰ってきたのだけど、この寒さのなか家に入るまでに来ているものを次々と脱いで洗濯機へ放り込んでいた。電車の車両には、夫以外ほとんどいなかったそうだ。アルコールでコンピュータやケータイ、持ち物もしっかり消毒して万全を期す。

とはいっても、周辺では感染が広がりつつある。長期療養型の病院でまたクラスターが発生し、私たちの地区にある保健所の管轄内では59人の陽性者が確認されている。広がっているのは感染だけではない。学校が始まって、信ぴょう性のない情報が垂れ流されてくるようになった。いわく、学校がある町のサッカークラブで陽性者が出たからこのクラブ員と交流のあった人は学校に行ってはいけない、などなど。

ほんとにいろいろあるけれど、前を向く余力だけは残っている。ツィマーマンのショパンを聴きながら、秋の夜長を過ごすのもいいものだ。明日の朝はまたグサグサと読むのもつらいメッセージが届くのだろうけど、今夜はピアノの音色と吉田修一さんの著作で自分の心を癒す。

 

 

娘、10歳になる

9月23日(水)

昨日、娘が10歳の誕生日を迎えた。

10年前、私は高齢出産ではあったけれど、読んだり書いたりに夢中になっていて、年齢に伴うリスクをうじうじと悩んだりしなかった記憶がある。実際、妊娠中も出産も順調で、誕生後も娘は健康に育ってくれた。

あれからもう10年もたつのかと思うと、娘の成長もさることながら自分の人生も中盤から後半戦へと向かっているのだと実感する。

パパからはLEGOをもらったのだが、私からのプレゼントはともにショッピングに行って好みの洋服を買うことになった。私も結婚前は、母とよく買い物に行き楽しんだものだ。娘と一緒に洋服を買いにく年齢になったのか、とこちらにも感無量である。

ショッピングセンターに行き、あのお店が見たい、このお店はちょっとのぞくだけ、と夫がいたら我慢がならないようなふらふら歩きが始まって、結局好みのお店で帽子からセーター、キュロットスカートを一式そろえ、サイズはついに私と同じになってしまった靴も新調した。

あれもこれも欲しいのだけど、私はそこまで甘い母親ではないのがわかっているのか、「このスカートだと合うシャツはあったかな」「この靴なら、ちょっとおしゃれにもはけるかな」などなど状況も考えて選んでいるのがいじらしい。

夜は、これまた娘の希望でカンポ・デイ・フィオーリ近くの和食やさんで姑と夫の従兄弟も加えて食事会。姑も夫の従兄弟も和食には慣れていないのだが、快くつき合ってくれてこれもまたありがたい。枝豆、餃子、ラーメン、マグロの握りと好きなものばかり食べて、プレゼントももらって娘には幸せな誕生日になった。

食後、ナヴォーナ広場を散歩していると、相変わらず観光客の姿はまばらで閉店している店も多い。どこのレストランも呼び込みに必死である。娘の誕生日を屈託なく祝えることは幸福なことだけど、いつ何時まさかの事態が起こりうるとも限らない。本当に、大変な時代になったものだと思う。私たちも、心して生きていかなくてはいけないなとローマを見るたびに思ってしまう。

そして、今週から秋が駆け足で近づいてきた感がある。高くなった空を見上げながら、夏物をしまう準備を本格的に開始だ。

クリームパンと月桂樹

9月20日(土)

今週は、本当にヘヴィな1週間だった。

学校が再開し、生活のリズムが一気に変わった。そこへもってきて、今週は仕事で非常に苦労をした。にもかかわらず、達成感が皆無の仕事で私はかなりへばっていた。クライアントさんはとても感情的で、送られてくるメッセージから湯気が出ているかのようだ。あっちが感情的になったからといって、こっちも同じ対応をしたらすべてが決裂してしまう。私は見えないちゃぶ台をひっくり返しながらも、感情を押し殺してひたすら淡々と対応した。久々に蕁麻疹まで出て、ああ私はストレスにさらされているなあと思ったものだ。

慌ただしさとは別に気分は落ち込んだまま、1週間はまたたくまに過ぎた。

今日は土曜日、日本人学校の日であった。

日本人学校に親友がいる娘は、先週から大喜びで学校に戻っている。母の私も、ママ友なんていう陳腐な言葉では表現したくないほど素敵な親友と会えるので、土曜日はうれしい日である。

今日はなんとその友人が、私のために「おみやよ」といってクリームパンを作ってきてくれた。彼女のブログで見るクリームパンは、つやつやとしていつもおいしそうだったけど、まさか私にまで?とひたすら嬉しかった。

コロナの影響で、父兄は校内に入ることができなくなったため、日本人学校に子供を連れてくる親は居場所を見つけるのに往生している。コーヒー一杯で3時間バールで粘るわけにもいかないからだ。

ところが今日は友人が日本食材のお店に連れて行ってくれて、私はすっかり舞い上がった。いろいろ目移りしてしまったのだけど、必要なものを買い込んですっかり満足。

お菓子がおいしいバールでいろいろ語り合いつつ、彼女がわたしの窓になってさまざまな世界を見せてくれるのだなあと実感する。普段は、田舎の町で自分と向き合って仕事をしている私にとっては、この友人との語り合いはまるで1週間の疲れとストレスが浄化されていくようだ。

家に買ってきて待ちきれず、「少し温めて食べてね」という友人のアドバイスも無視して、娘と1個目のクリームパンを半分こ。「ママ、日本のパンの香りがするよ!サイコー」と娘もテンションが上がりっぱなしだ。

優しい黄色のカスタードクリームの甘さに舌鼓を打ちながら、幸福感をかみしめた。

いっぽう、学校が終わった娘は私に小さな紙袋を差し出した。なかには、緑も鮮やかな大きな月桂樹の葉っぱがたくさん入っている。この葉っぱは、娘の親友からのプレゼントなのだそうだ。日本人学校の校庭にも月桂樹があって、娘とそのお友達が先週葉っぱを摘んできてくれたのだ。ところが今日のプレゼントには、

「先週校庭で摘んだ葉っぱ、ひょっとしたら汚れていてキオちゃんが病気になったら困るから、家の月桂樹のきれいな葉っぱを持ってきたの」。

という口上つきだった。ありがとう。これで、おいしい煮込みを作ろう。

母も娘の、親友の愛を実感した土曜日。

これをパワーに、新しい1週間もがんばろう。