イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

人事を尽くして天命を待つ

9月13日(日)

バカンスから戻ってこのかた、イタリアの学校のグループ研究の宿題があったり、仲良しの友達とどうしても会いたいといって少人数で遊んだりバーベキューをしたり、近場でバタバタすることが多くなった。

紆余曲折があったものの、日本人学校の補習校は昨日再開した。イタリアの学校も、明日から登校が始まる。3月5日の休校以来、数カ月ぶりの登校である。

先週、担任の先生とクラスの父兄が、学校再開についてのルールを確認し合った。私は会議には参加したけど、もっぱら聞き役である。コロナは死滅していないのだから、誰がどう計画し実行しても反対意見が雨あられと学校や政府に降りかかるのもいつものことだ。実際、会議は荒れたけど、グズグズとまとまらない愚痴を述べるのはいつものメンバーである。

コンテ首相の政府は大臣たちも若くて、その割に意地悪なジャーナリストに挑発されても声を荒げずに泰然と意見を述べる人が多いから頼もしいと思ってる。文部大臣は、40代のアゾリーナという女性であるが、口紅の色が時々とんでもないことを除けば非常に優秀な人だなあというのが実感だ。もちろん、反対意見もあるのだろうけど、私は概してとても良い印象を持っている。

若い大臣が満を持してあらゆる対策を施したうえでの学校再開だから、子どもたちから教育の場を奪わないためにも、親としてもルールを守るよう子どもたちを諭し協力すべきだと心から思う。

学校が再開してバタバタしている間に、あっというまにまたクリスマス休暇がやってくるのだろう。

土曜日に日本人学校で出会った親友とは、切磋琢磨してロックダウン中も仕事に励んできた仲だ。チャットで愚痴を語り合ってストレス発散しつつも、時間も無駄にしないでよく頑張ったとおたがい褒め合いたいくらいだ。私の周りは、非常事態となった今年のこの状況にあっても、粛々と努力をしている人が多い気がする。夏の間、恒例のイベントはいくつかキャンセルになったけれど、規模を縮小して行われたイベントもある。みんなきちんとマスクをして参加していて、それも頼もしいことだと思っている。

テレビをつければ首相も大臣たちも頑張ってるし、プライベートの生活の中でもみんな努力を続けている。だから、先行きを悲観する材料がないのがありがたい。何か起きてしまったら、それぞれがベストを尽くすしかないではないか。というくらいには開き直って構えていられる。

娘も夏休み、海で山でとよく遊んだ。心機一転、新しいスタイルの学校生活になじんでほしいものだ。私はこの9月、どうしても乗り越えなくてはならない山がひとつあるのだけど、それも焦らずに自棄にならずに乗り越えていこうと思っている。

生活スタイルがダレてしまったから、早起きだけは慣れるまでに時間がかかりそうだけど…。

 

スパルタバカンスここに極まれり 2020年夏

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バジリカータ州ではペペローニ・クルスキと呼ばれるトウガラシの揚げたものがしばしば登場。

 

8月15日(土)

今年の夏は、イタリア人の多くが国内にとどまってバカンスを過ごしている。我が家ももちろん、そのたぐいである。とはいっても、美術館や教会を見たい私とは異なり、娘は数年前のナポリのカーポディモンテ美術館の広さに懲りてしまって、美術館だけは勘弁してくれという。

娘の意向を重視して、今年の夏はポッリーノ国立公園で過ごすことになった。イタリア南部、カラブリアからバジリカータに広がる大自然である。

夫がたてた計画では、16000年前の壁画が残るロミートの洞窟に隣接するB&Bで一泊、国立公園のど真ん中にあるサン・セヴェリーノ・ルカーノで4泊、あとは私の希望を入れてマテーラに滞在というものであった。

ポッリーノ国立公園になにがあるのかさっぱりわからないまま出発したのだけど、これまでも国立公園でのバカンスといえばひたすら歩かされることが多くて私も覚悟はしていたのだ。しかし、今年はよりハードにレベルアップしていた。

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16000年前に人類が残した牡牛の絵

 

まず、カローレ川という川沿いを歩かされパニーノのお昼、そのあとはカステルチヴィタという洞窟の中を真っ暗な状態で探検、そのままロミートの洞窟がある宿に到着し、翌日はその洞窟を探検。さらに、ラオ川で12キロに及ぶラフティングを強行し、翌日は近隣の温泉に行ったのだけどコロナの影響で閉鎖していたために、偶然見つけた美しい滝と海で過ごした。

その次の日は、リバートレッキングでゴム長をはいて川をさかのぼり、翌日はポッリーノ連山を7時間半かけて12キロ強を歩いた。

最後は、イオニア海で海水浴をしなあらマテーラに向かい、人込みと暑さに辟易してローマにもどる、という旅程であった。

結果からいうと、もっとも期待していたマテーラはとにかく人が多く、町の様子もひじょうに独特ではあるのだけど、すぐに飽きてしまった。どこを見ても同じだし、いかにも観光地という趣なのである。マテーラでの収穫は、この地で農業の促進をする若者たちが経営するレストランで食事をし、山ほどのバジリカータ産の物品を注文できたことくらいだった。本当は最終日も半日はマテーラを散策する予定だったのだけど、蓄積した疲労と暑さと人出のためさっさと逃げ出したというのが正しい。

 

ポッリーノ国立公園にももちろんバカンス客がいたのだけど、概して海を好むイタリア人はあまり山に来ないし、広大な国立公園内を車で移動してもすれちがう車も稀なくらいだった。

夫は一か所にとどまってのんびりと過ごすバカンスというのが嫌いで、とにかく能動的に動いていないと気がすまない。体力的にはきついのだけど、まあ達成感だけはモノにできるというメリットはあるのである。

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「神々の庭園」の別名がある山頂で。涼しくて水がおいしくて最高だったけど、下りの最後の1キロでヘロヘロに。

12キロに及ぶラフティングはとても楽しかったし、最後は木の根っこで転んで倒れこむように戻ってきたトレッキングも、終わってしまえば「よくやったなあ」と自分をほめてあげたくなる(私は自分に甘いのだ)。

それに、カラブリアからバジリカータにかけては、とにかく働いている人たちの感じがよかった。愛嬌がある南部のイタリア人は、情報も惜しみなく与えてくれるし、こちらの要望にもできる限り応えてくれようとする。コロナによるロックダウン後のことだから、ここが稼ぎ時と頑張っていたのもあると思うけど、それが非常に潔くすがすがしかった。

食べ物に関しても、まったく外れがない。いわゆる、カザレッチョと呼ばれる素朴な料理ばかりなのだけど、ナスやズッキーネといったなんでもない素材もとんでもなくおいしく供されてくる。地元の人に教えてもらったアグリトゥーリズモの食事は、メニューがなくて前菜からデザートまでその日に作ったものが登場するという趣向なのだけど、これも押しつけがましさのない美味であった。

1日遊びに行った海沿いのレストランは、地元の学校の40歳を祝う小規模な同窓会が開かれていて、これはレストランの選択を間違えたかと思ったものだ。ところが、出てきた料理のおいしさには心底びっくりした。。ガンガン陳腐な音楽が流れる中で、店主は異常なまでに私たちに気をつかいおいしいものを次々に運んでくれた。3人で「もう無理です」というほど食べて37ユーロである。ローマに戻る途中で立ち寄ったベネヴェントのレストランも同様。とにかく押しつけがましさのない自然な愛嬌というかサービス精神と料理のおいしさは、今年の夏の良い思い出として残ると思う。

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期待外れだったマテーラ。好みの問題もあると思うけど、私にはイマイチ。

ラフティングやリバートレッキングのガイドさん、洞窟案内のガイドさんたちも、その職務を心から愛して務めている様子はとても素敵だと思ったものだ。なんというか、洞窟のガイドであろうが山岳トレッキングのガイドであろうが、プロとしての矜持にあふれている人たちであった。

マーニャグレチアと呼ばれ、古代から穀倉地帯として知られていたイタリア南部のなだらかな丘の重なり、そこに連なる風力発電の羽、まるで果物の楽園かと思うくらいに車窓に現れるリンゴやイチジクの木々。美術館も教会も無縁だったけれど、よい夏の思い出である。

今日のイタリアはフェッラゴストと呼ばれる祭日で、町中からはバーベキューの煙が上がっている。我が家は体力的にきつかったバカンスの名残で虚脱状態、食欲もあまりなくぐたーッと過ごしている8月15日。

パンパンに張れた脚をマッサージしながら、のんびり過ごす予定だ。

ご褒美Day

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8月5日(水)

田舎の町に引っ越してこのかた、仕事関係の同僚と食事をすることはあっても、純粋な友人とのお出かけなどめったにしたことがない。夫はしきりに、友達と出かけて楽しんでおいでよ、というのだけど、ローマに住んで食べるものや着るものなどなどさまざまな価値観がある友人がなかなかいなかった。だから、たいていは仕事関係の人とそこそこのご飯を食べに行き、仕事関連の話をして終わるというのがわたしにおける「友人との食事」だった。

 

今日は久々に、純粋に友人とデートだった。彼女と親しくなったのは、今年の2月の初旬。1回か2回会った後、イタリアはロックダウンしてしまったのだ。ほぼ毎日のようにチャットを交わし、なにやら数年来の親友のような気持ちになっていたけれど、実際に会うのはまだ数回目なのである。

 

お料理のプロである彼女、普段の私には縁のない洗練されたレストランに連れて行ってくれた。いつもよりちょっとおしゃれをして、町の中にあるこんなレストランに行くのも本当に久々しぶりのことだ。日本にいれば、母とちょっと背伸びをしたレストランに行くことも多かったのだけど、ローマの生活の中ではカジュアル感ばかりが目立つレストランに行くことのほうが圧倒的に多い。今日は、なんとフェンディが入っているビルで食事をしたのだ!ローマの食事に行っても、ここまでチェントロ中のチェントロで食事をすることなど、私はめったにない。いつもはモノトーンの地味な服を着る私も、今日は娘もいないから思いっきり派手な色を着てはじけて出かけることにした。

ここ数ケ月、よく仕事もしたし今日は大散財だ!と、お財布の中身のことは考えずに過ごすことに決めたのである。

友人が連れて行ってくれたレストランは、とても洗練されていて優美でのんびりできておいしかったし、なにより彼女とのおしゃべりがごちそうだった。チャットで語り合ったことも、実際に会って話すとまた違う趣がある。今年は本当に大変な年だけど、彼女と出会ったことは私には幸運として2020年の思い出になると思う。

バーゲンも始まっていたローマだが、スペイン階段の周辺は閑散としていた。というわけで、私たちはバーゲンも冷やかし、試着をして私はちゃっかりここでも散財。彼女とは、洋服の趣味まで合致したからびっくりした。もちろん、私よりもすらりと身長も高く、美貌の彼女のほうがなにを着てもサマになるのだけど、いろいろな価値観が合うというのは本当にうれしい。

こんな日があるから、仕事でイライラした過去も過去のものにでき、また仕事を頑張ろう!という気持ちになれるのだ。

今日の佳き日に、乾杯!(お酒飲めないけど)。

 

「私はまちがってない!」と我を張るのも疲れるものだ

7月23日(木)

昨日は仕事において非常にうれしいことがあったので、少し浮かれていたことは否めない。しかし、だからといって慢心したりなにかをなおざりにしたことはまったくなかったのに…。

 

今日は、朝からついていなかった。

数年来付き合いのあるこのクライアントは、これまでも粗暴な言葉遣いでずいぶんとつらい思いをさせられてきた。顔を見ることもない仕事の相手だから、やり取りをする際の言葉の選択については、私はかなり気をつかう。だから、相手が同じ態度で接してくれれば、敏感にそれを実感できる。そのようなクライアントの仕事には、通常にもまして力が入る。今日のクライアントは、そういうデリカシーがない人なのだ。仕事とわりきってつき合うしかない。

今朝、送られてきたクライアントのメッセージには、「面倒」という言葉が含まれていた。仕事であるから、「面倒だな」と思うことは誰にでも多々ある。しかし、それを真っ向から相手に放り投げるだろうか。ふつうは、否である。夫婦間でやらかしたら、まず喧嘩になる。

相手が「面倒」と言った理由は、こちらもバカンスシーズンに入るので8月の仕事についてこのようにしていただいていいですか、とお伺いを立てたことに対する返答であった。昨年までは、ごく普通にお互いのあいだで交わされてきたやり取りである。数年来のつき合いの中で慣習となっていたから、ごく普通に送ったメッセージなのである。それなのに、にべもなく「面倒」という言葉で片づけられてしまったのだった。

私は意地悪をされているのだろうか。相手に悪感情をもたれるようなことを、しでかしたことがあっただろうか。過去を振り返ってみる。納品の遅滞は一度もないし、修正には素直に応じてきた。ムカッと来ることがあってもまずは深呼吸し、感情的な言葉を送ったこともない。

私は、悪くない。

午前中は、その想いにさいなまされた。「面倒」という2文字を無造作に投げつけられただけで、こうも落ち込むものなのだろうか。

気を取り直して、せっせと仕事をする。自分を鼓舞し叱咤激励し、気がつけばお昼だった。まあ、ご縁がなくなっても仕方がない。もそもと、そりが合わない相手だったのだから。と思えるところまで、気分は持ち直した。

 

午後はせっせと本や雑誌を読みちらかし、「アイスクリームの歴史」について執筆。

できあがって相手に送ったところ、「これは、ジェラートの歴史ですね。こちらの希望は、アイスクリームの歴史です。もう、アイスクリームの挿絵も用意できてるんです。これです」と送られてきた画像は、どこから見てもジェラートのそれであった。

今日は、ほんとうにこんな日なのだとあきらめる。

「私はまちがっていない!」と心の中で思い続けるのも、疲れるものなのだ。まちがっていないことを自負していても、相手との妥協点を見出さなくてはならぬ。

古代の偉人たちも登場するジェラートの歴史なんて放っておいて、面白くもないアメリカのアイスクリームの歴史を長々と書いてやろうかしらん、なんて大人げないことも考える。

しかし、それは私の中でまちがったありかたなのだから、できるはずもない。自分と相手をなだめつつ、ジェラートとアイスクリームの相違などを書きつつ、大円団に終わらせることになるのだろう。フリーの仕事なんて、こんなふうに小心者でなければ務まらない。まして、私みたいな細々と仕事をさせてもらっている身では。

見えないちゃぶ台を100回くらいひっくり返した今日だったけど、「私はまちがってない」なんて、本当はとても傲岸な思いなのだ。反省しよう。

昨日嬉しいことがあって気持ちが舞い上がったことは確かだから、それを戒めるための必然であったと思うことにしよう。

しかし、今日はなにをやっても駄目だから、これにて終了。

明日は良き日となることを祈る。

 

追伸:と言いつつ、結局すべてを書き直した。「一寸の虫にも五分の魂」だ。私にも意地がある!それにしても、アメリカのアイスの産業化を書くためにジェラートの愉しい歴史を削るのはかなりつらかった…。

 

ラファエロ展に行ってみたけれど…

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この男の子は素敵だった

7月19日(日)

長い長いと思っていた7月もあっというまに半ばを過ぎ、もうすぐ娘もバカンス先から帰ってくる。

というわけで、彼女がいると絶対に行くことができないラファエロ展に行ってきた。夫も私ものんきで、行くことを決めたのは数日前。

お昼はどうしようという話になり、ピラミデにあるペンネストリに予約の電話をしてみたら、奇跡的に席が空いている。以前だったら、前日に予約なんてできないお店だったのに、Covid-19の影響は人気店でも顕著なのかもしれない。

 

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ローマの町はガラガラで、渋滞もなく観光客もなく、車で行ったにもかかわらず駐車場もすぐに見つかった。せっかくだから、カンピドーリオの近くに留めて、フォロロマーノを見下ろしながらクィリナーレまで歩いた。

 

美術展でがっかりしたのは、それぞれのセクションに5分しかとどまれないという変な規則。「密」にならないようにという工夫なのだろうけど、ろくに見たくもないタペストリーの部屋で無駄に5分過ごすより、じっと眺めていたい作品の前で鑑賞したいのが本音だ。

しかし、1つの部屋に入り5分が経過すると、カーンと鐘が鳴って追い出されてしまう。

鳴り物入りで始まったラファエロ展だし、超有名な作品もいくつか鑑賞できたけど、なんだか消化不良気味の見学だった。

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初期の作品はいい感じ

ラファエロの晩年から若き時代へとさかのぼる趣向なのだけど、私は断然初期の作品のほうが気に入った。なんというか、後半の作品は、「ご立派!お見事!」という感じで完璧すぎて、あまり感情を喚起させてくれなかったのだ。ラファエロという超大家の超有名な作品は、意外性がないというかアレゴリーが少ないというか、あらゆる場所で目にしすぎているのだろうか。ラファエロは確かに、私を西洋美術の世界に導いてくれた偉大な芸術家なのだけど、最近はワビサビ感漂う中世に惹かれていることも理由のひとつなのかもしれない。

ウフィッツィ美術館で、シモーネ・マルティーニやベアート・アンジェリコを見た時のほうが、よほど気持ちは盛り上がった気がする。

ラファエロが建築したマダマ宮のコーナーがあったのだけど、あれが一番興味深かった。「画家ラファエロ」ではなく「建築家ラファエロ」のほうが、ブリリアントに見えたのはなぜだろう。もちろん、美術館側のヘンなオーガナイズが気に入らなくて、私もへそを曲げていたのかもしれないけど。

お姉さんに追い立てられて、きっちり1時間10分で鑑賞終了。

時間をかぎられて鑑賞させられるなんて、ほんとうに最悪だと思う。まあでも、数週間前にウフッツィ美術館でお目にかかれなかった作品も見れたし、これはこれでよいとしよう。

帰り道、トゥルコラーナ街道沿いのジェラート屋さんで涼をとって帰宅。

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観光客がいないフォロ・ロマーノ、絵葉書みたいな写真が撮れる。

 

通常の8月よりもさらに閑散としたローマ、こんな風にのんびり楽しむ1日も悪くないなと思った次第である。

 

 

 

 

娘に会いにアブルッツォへ

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テーラモの大聖堂。祭壇部がずれている

7月12日(日)

この週末、娘と姑が過ごすアブルッツォに行ってきた。とはいっても、あちらに着いたのは土曜日の夕刻。土曜日の午後は、我が家の周辺で売りに出ている家を何軒か見学。具体的に将来どうするのか、まったくビジョンが不透明なまま家探しをしても無駄だと思うのだけど、思春期に入ろうとしている娘の成長を考えると今の家は確かに狭すぎる。まあ、参考までに見ておこうという程度だった。実際、見ても感慨はわかず、家族での話し合いが必要だなと実感。

夕刻にアブルッツォのピネートに着くと、娘は1週間で日焼けして真っ黒になっていた。男の子ばかり3人、友達もできて毎日浜辺で遊んでいるそうだ。夕方になると、住民のおじいさんたちも浜辺に出てきてゲームを始めるので、それにも参加しているのだそうだ。わが娘ながら、順応性の高さにはびっくりさせられる。おまけに、ホテルで働くお兄さんに恋までしていて、内容が濃すぎる1週間である。

私たちも海に行くつもりで準備をしていったのに、「海はちょっと飽きたから山に行きたい」なんて言い出した。そうはいっても、トレッキングシューズなど持参していない。妥協して、最寄りのテーラモという町に行ってみた。

曇り空であったせいもあるけれど、そして10年前のラクイラ地震の影響もあるのだろうけれど、テーラモも町はひどく暗かった。日曜日でお店が閉まっているからという理由もあるだろう。それにしても、バカンスシーズンの週末だというのに、観光客を阻むようなよそよそしい雰囲気が漂っていた。

町の中心にあるドゥオモは素朴ながら美しく、唯一の見どころといったおもむき。

不思議なことにこの大聖堂、身廊部分に立つと祭壇が右にずれている。目の錯覚かと何度も確かめだのだけど、はやりずれている。

ミサが終わってかたずけをしているお坊様に理由を尋ねたら、非常に興味深い答えが返ってきた。

ヨーロッパの教会は、たいがい十字架の形をしている。テーラモの大聖堂は、十字架にかけられて苦しんだイエスが、わずかに頭部を右に傾けた様子を表現するために、わざと祭壇部をカーブさせたというのだ!

実際、家に帰ってウィキペディアを見たら、こんな設計図になっていた。

 

祭壇部が、右にずれている。

数多の教会を見てきたけれど、こんな経験ははじめただった。

テーラモの町は、古代の遺跡から中世の街並みが混とんとしていてなかなか見どころはあるのだけど、なにしろお店がすべて閉まっている。レストランも、見つからない。

車で郊外に出て、ようやくアグリトゥーリズモを見つけてそこで食事。さすがアブルッツォ、素朴だけどおいしいご飯だった。

娘と姑を滞在先に送り届け、私たちはまたローマにもどる。今日は1日曇っていて、グランサッソも霧に包まれていた。帰りにスイカを購入し、今夜はこれで済ませるつもり。

明日からまた月曜日。頑張って働こう。

マエストロの死

7月6日(月)

週末は、かなりバタバタ忙しかった。

土曜日は学校のオンライン会議、それが終わるや否や娘を連れてアブルッツォのバカンス先へ移動。いろいろ環境を整えて、私と夫はローマにとんぼ返り。

アドリア海側に抜ける道中では、雹がじゃんじゃん降ってきて外気温は8度なんてこともあった。土曜日は、天候が荒れに荒れていたから気圧の関係で体調もイマイチだった。

日曜日は、友人家族がわが町の近くにあるレストランにやってくるというので合流。とはいえ、ピッツァがおいしいというそのレストラン、昼間は釜に火が入っておらずあまりおいしくもないパスタを食べて、アルバーノ湖畔を散歩して週末終了。

今日からは天気も持ち直して、娘と姑も海で楽しんでいることだろう。

月曜日だから仕事はてんこ盛りなのにイマイチ気分が乗らない午前中、飛び込んできたのがエンニオ・モリコーネの訃報だった。

91歳。

年齢に不足はないものの、やはり感慨深い。

今朝はエルガーを聞いていたのだけど、モリコーネの訃報を聞いてヨーヨー・マが奏でるモリコーネの音楽に切り替えた。艶々の音を出すヨーヨー・マは、私の趣味ではない。だけど、このCDはとても良いなと思ってよく聴いていた。

モリコーネと聞いて思い出すのは、何年前のアカデミー賞だったかグラミー賞だったか、クリント・イーストウッドの紹介で受賞を報告された彼の姿が印象に残っている。

すべての人に感謝しつつ、愛妻への思いを朴訥と語る彼の姿には、ローマっ子らしからぬ生真面目さがあふれていた。

仕事を放擲して新聞を読んでいたら、なんとモリコーネは自身の惜別の書みたいなものを残していたのだそうだ。いわく

「私、エンニオ・モリコーネはこの世を去ります。常に近くにいてくれた友人たち、少し遠くにいた友人たち、すべての人の名を列記することなどできないけれど、大きな愛をもって彼らに最後の挨拶を」

とはじまり、4人いる子どもたちや親しい人に触れた後、

「マリアへ、これまで私たちを結びつけてくれた愛は変わらない。あなたを残していくことだけがつらい。あなたとの別れが、一番悲しい」

とつづっていた。

派手な葬式などしてくれるなという遺言とともに残した自らの死亡記事である。91歳の巨匠は、最後まで明晰だったのだろう。なんでも、少し前に転倒して大腿部骨折をして、入院中に体調を崩したらしい。彼が作り出す音楽はドラマチックだったけれど、糟糠の妻に捧げた愛もなかなか映画のようではないかと思う。私のような職業のものと連れ添ってくれる妻はなかなかいないんですよ、というインタビューも流れていた。雑誌によっては、モリコーネの妻マリアは彼のミューズだったのだ、と書いていたけど、なんとなく違う気がする。2人は、二人三脚で長い時間を生きてきたのだろう。

サイトには哀惜の言葉があふれた。

おもえば、ロックダウン中にもイタリア各地のバルコニーから、モリコーネの音楽が聞こえてきたものだ。その妙なる調べは、イタリア人の心を大いに慰めてくれた。

ある日本人が、こう書いていた。

モリコーネの音楽を聴くと、涙が溢れます。でもそれは、よい涙のような気がします」。

コンテ首相は、こう書いている。

「偉大なるマエストロ、エンニオ・モリコーネ。私たちはあなたのことを、常に感謝をもって思い出すことでしょう。あなたの音楽の中に、私たちは夢を見、さまざまな感情を抱き、思いを深くしてきたのです。その忘れがたきメロディーは、音楽と映画の世界で不滅です」

 

イタリア語の「マエストロ」という温かい響きが似合う人が、だんだん少なくなっていくなと思うこの頃である。エンニオ・モリコーネは身長こそ低かったものの、マエストロと呼ぶのにふさわしい風格があった。

イタリア人が心から誇れるイタリア人が、また一人世を去ってしまったことは本当に惜しい。

天寿を全うし、妻への愛を改めて告白して去っていったマエストロには、彼が生み出した音楽が本当によく似合う。

さようなら、マエストロ。