2020年がはじまる
2020年がやってきた。
2019年の終わりから、義弟夫婦がいるストックホルムで過ごす。
ストックホルムは落ち着いたいい町ではあったが、イタリアから行く身ではそれほど見るものがない。まして、義弟夫婦のところには12月半ばに赤ちゃんが生まれたばかり。総勢8人で移動となると大騒動で、いかにも年末年始らしく家族で過ごすことができた、という以外に特に記すことはない。
新しい1年が始まったのだけれど、年齢を重ねると自分の「分」というものが見えてくる。
野心や夢というのはいくつになっても持てるのだろうけれど、それを実現することができるか否かの答えが醒めた目で見えるようになる。
それは少し、寂しいことだ。
仕事をしていても、時間つぶしにコンピュータやケータイを見ていても、世の中にはくだらないことが多すぎて、前を向く気持ちが萎えてくる。
仕事は仕事だから、割り切って読んだり書いたりする。
それ以外の時間は、意識をして極上のものに触れる努力をしよう。
2020年の目標は、より良い仕事をし、上質なものに触れる。だらだらとケータイを眺めて過ごさない。これにしよう。
【にぎやかな天地】より
だが、そのような人間にはついにはなれなかった。
きっと私に、最も重要なことを学ぶ機会があたえられなかったからだ。
(空白)
ならば、
小説では、空白の部分の一文を探すことがテーマになっている。
それは、小説の中の世界だけではない、私の人生にも通じるテーマであると信じている。
老いとか死とかいうものを、不意に考えることが多くなった。
今まで生きてきた時間よりも、残された時間のほうが短いからなのだろうけれど。
ブラームスの弦楽六重奏を聴きながら、年の初めのメランコリーをもてあましている。