イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

5月の雨

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5月20日(水)

昨年の5月は、雨ばかり降って本当に寒かった。

今年の5月は早くも真夏日を記録しているところもあるようだが、わが町はちょうど良い気温になってきた。

今日は珍しく雨。

朝、市場に行って野菜と果物を買い込んで、そのあとは家におこもり。野外の市場もマスクは必須で、以前は気軽に手に取ることができた野菜も今はお触り禁止になっている。いつものシリアル入りのパンを買ったら、「今日はね、コルネットがちょっと焦げちゃったの。だからおまけ」と3つもコルネットを袋に入れてくれる。確かにわずかに色が濃いけど、香ばしさが際立つ美味しさだった。

 

午後、サルデーニャでラーメン屋さんをしているカップルから連絡が入った。10年来の友人カップル、人生の山と谷を越えて今はカリアリでラーメン屋さんをしている。彼らがお店をオープンした時には、メニューのイタリア語訳を手伝った。

コロナの影響で閉めていたお店を近々開くのだけど、州政府のルールがよくわからないというSOSだった。フェーズ2のためにそれぞれの州が明記したルールは、とんでもない量になっている。トスカーナ州は176ページ、サルデーニャ州は123ページもあるのだ。レストラン関係は、そのうち2ページほどではあるけれど。

サルデーニャ島の経済も、観光が占める割合が高い。夏に海を溺愛するイタリア人たちが大挙してくれば問題なさそうだけど、島内ではあまり明るい見通しにはなっていないとのことだった。

シエナB&Bを営む友人夫婦も、同業者の多くが廃業したと嘆いている。シエナは、夏の目玉のパーリオも中止になった。

そんなニュースばかり聞いていると、日本への里帰りはさらに遠く感じる。高校時代の友人とのチャットに、夏はいつ帰ることができるかわからないと愚痴のメッセージを送たら、

「やまない雨はない。終わらないコロナもない!」

と明るい返事が返ってきた。持つべきものは、友である。

 

午後、マリア・モンテッソーリの記事の執筆を頼まれたので、本やサイトを読んでいたら、娘が子供用の伝記を持ってきてくれた。子供用に書かれた内容のほうが、たしかにわかりやすい。概要を知るには、子供用の教科書や本は非常に役に立つ。

医学者で教育者でイタリア発の女性医学博士で、とエリート中のエリートであったマリア・モンテッソーリが、働くシングルマザーの先駆けであったことを今日知った。読んでいるといろいろなところに脱線してしまうのだけど、午後になんとか執筆完了。

 

最近読んでいる赤毛のアンシリーズはどんどん進んで、第7巻目『炉辺荘のアン』にたどり着いた。2巻以降のアンは順風満帆で優等生すぎて鼻につくところもあったのだけど、6人の母となったアンの家庭は理想的な夫のギルバートが多忙で気難しかったりして、ふんふんと共感できる。ギルバートほどの男でも中年になればこうなるのだから、遠く及ばぬわが夫の不機嫌なんて当然なのかもしれない。

姑で苦労しないアンも、姑以上に手ごわいギルバートの父の従姉妹(昔はこんな遠い関係でもファミリーとしてつきあったのだろうか)のメアリー・マライアおばさんの意地悪でストレスをためている。中年のアンと6人の子どもたちの巻、その昔に読んだときはとくに面白いとも思わなかったのに、やはり私が年を取ったのだ。

 

夜は、最近歴史に凝っている娘に付き合ってフェニキア人のドキュメンタリーを見る。

イタリア語で歴史を読んだり見たりすると、私の頭の中は混乱する。フェニキアはフェニチ、カルタゴはカルタジニ、カルタゴ戦役はグエッレ・プニケである。西洋の名前は、娘と歴史の話をするときには本当に気をつけなくてはいけない。ジュリオ・チェーザレは日本ではユリウス・カエサルと呼ぶんだよ、ペリークレはペリクレスだよ、ローモロはロムルスでレーモはレムス、スーメリはシュメール人だよといった具合だ。

これで、東洋史が始まってしまったら目も当てられない。孔子をコンフーチョと呼ぶ国なのだ、イタリアは。

 

歴史に興味を持ち始めた娘に、なにか良い映画はないかと夫が言い出した。「グラディエーターはどうかな」というけど、さすがに9歳にはあれは刺激が強そうだ。

というわけで、昨夜私が推奨したのは「ブランカレオーネ遠征隊」である。数年前に自殺してしまったモニチェッリが監督し、ビットーリオ・ガスマンが主演。

喜劇なのだけど、ある大学の中世史の教授が「中世の雰囲気を知りたかったら、『ブランカレオーネ』を見ろ」と言っていたのを思い出したのだ。

 見ていると、ガスマンだけではなく、ジャン・マリア・ヴォロンテ、エンリコ・マリア・サレルノなどなど、そうそうたる俳優が出演していてびっくりした。とはいえ、中世の言い回しや独特の笑いは、やはり娘には難しかったようで途中で中断。

 まあいずれ、娘のほうがこうしたイタリア映画の愉しさを堪能できるようになるのだ。

それにしても、娘と歴史の話ができるようになったのかと感無量である。