悲しきローマ
6月25日(木)
今日から、夫と娘はアブルッツォにキャンプに出かけた。日本人学校のパパ友と、その息子さんの4人の旅である。私もあちらの奥様も、「キャンプはちょっと」という口である。
パパ友さんはキャンプのプロらしく、あちこちのよいキャンプ場に詳しいのだそうだ。
息子さんは恥ずかしそうに挨拶してくれたけど、後から来た電話ではすっかり打ち解けて楽しんでいるようである。
夫からは、シカの写真が送られてきた。こんな大きなシカが間近に来たら怖いなあと思ったけれど、プロ級のキャンプの達人もいることだし楽しんできてくれることを祈っている。
私はこれを機会に、何カ月ぶりかの美容院に行くためにローマに赴いた。
地下鉄の駅に向かう道は、渋滞が戻ってきている。
それなのに、地下鉄の中はガラガラ、ローマの町は活気もなく人の少なく、私はショックを受けてしまった。
田舎に住んでいると、ポストコロナとはいえかつての生活とたいして大きな違いはない。バールやたばこやさんはオープンして人々の生活に寄り添っているし、広場に集う面々も変わっていないからだ。
いっぽう、観光客がいないローマの町は、青息吐息の病人みたいだった。私が行く美容院は、トレビの泉の近くにある。イタリア人は、観光客がいない今こそとローマの町に繰り出すことがあっても、もっぱらナボーナ広場辺りを散策するにとどまっているのだそうだ。ここぞとばかりに、トレビの泉を見に来る酔狂なローマっ子は少ないのだろう。
トレビの泉に向かう小道は、通常ならバスから降りた観光客で押し合いへし合い、周辺のお土産屋さんやレストランは大賑わいの季節なのだ。
ニュースで「イタリアの経済はまずいです」と耳がたこができるほど聞かされていても、田舎で在宅ワークをしているとまったく実感がわかなかった。しかし、今日はそれを目の当たりにして、これは本当にマズいと体感した。
活気がないと一言で言ってしまえばそれまでなのだけど、ローマをはじめイタリアには誇れるものがたくさんある。観光客はこの国にやってきて、文化遺産を目にしてすごいすごいと感動してくれて、ご飯を食べてはおいしいおいしいと感嘆してくれる。そうした賛辞をもらえないローマは、まるで打ち捨てられた子供みたいに見えるのだ。
誰も見てくれない、だれも褒めてくれない、鬱になりそうなローマ。
フィレンツェの町もそうであったけれど、このような状況でも働いている人々はみんな必死の思いであることが伝わってくる。
やけおおこさず、愚痴らず振り向かず、今はもう前に進むしか道はないのだろう。私も田舎でのうのうとしていないで、ちゃんと現実を見なくてはいけないなと反省した1日であった。