イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

イタリアは疲労困憊

11月2日(月)

新しい1週間が始まった。

私は今日、ある試験があってロックダウンに入る寸前になんとか合格。ああやれやれ、といったところだ。

今朝は、俳優のジジ・プロイエッティの死のニュースから始まった。80歳の誕生日に死を迎えた彼は根っからのローマっ子で、あちこちで哀悼の空気があふれていた。ショーン・コネリーも亡くなってしまったし、懐の深さを感じる素敵なおじさまたちがいなくなるのは淋しい。

今夜に出るはずだった首相令は、結局政府と各州のトップの話し合いがまとまらず延期された。

50代のコンテ首相もかなり疲れている。だから決断力も鈍っているのかもしれない。

イタリア人も疲れている。今夜のテレビの討論会では、ドイツ人の新聞記者が登場して「春のロックダウンに関しては、イタリア人はドイツ人よりもすぐれていた」と褒めてくれたものだ。ロックダウンを乗り切って、そして佳き夏を謳歌して、これからは経済の復興に向かおうとしていた矢先の第2波。

ドイツ人の記者は、こうも語っていた。

「我々は民主主義の時代に生きている。マジョリティもマイノリティも、同じように意見を主張する権利を持っている。それは当たり前のことだ。問題はマイノリティの多くが、非常時にあたって規則やルールを尊重しないことにある」。

これが本当か私にはわからない。でも、感染ルートを追うこともままならなくなってきた今、わずかな人々がルールを無視することさえもはや致命的であることには同感だ。今日の新聞には、現在欧州で感染拡大しているCovid-19は中国で広がったそれよりも13倍も感染力が強いと書いてあった。恐ろしい話だ。

ロンバルディア州の現場では、もはやロックダウン以外に医療崩壊を防ぐ手立てはないとここ数日言われてきた。しかし、州レベルでも国レベルでもまだその決断が下せないでいる。なんだか責任の押し付け合いになっているのもやるせない。レストランやバールを経営する人たちの苦しみもよくわかるのだけど…。病院が機能しなくなったらどうなってしまうのだろう?

ロックダウンに供えて大量に買い込んだ栗を炒って試験の合格を祝った今夜、10月に私を苦しめていた悩みやわだかまりが解消して久々に嬉しい日だった。

夜のニュースを見て、イタリアおよび欧州のこの冬の厳しさに再び思いを馳せている。春にイタリアの政府と国民が発揮したパワーが再燃しますように(とても難しいとは思うけど)。

今日は朝から気持ちが動揺して仕事もろくにできなかったけれど、夜は好きな本でも読みながら今日の幸福をかみしめよう。

おやすみなさい。