春の雨
月曜日、春の雨が降っている。
とはいっても、しとしとと降る風情のある雨ではない。
春の嵐のように、雨も風も荒れている。うなる風の音は、竜を思わせるほどだ。
世界を席巻しているコロナのニュースは少しも好転しないまま、週が明けた。
しかし、新聞のサイトを開けばヒステリックに感染者や死者の数が載っていた数日前に比べると、紙面もずいぶん落ち着いてきた気がする。
なんというか、もうここまで来たらじたばたしても始まらないという人間の心理が新聞にも表れているかのようだ。
もはや、感染者や死者の数字をいわれても、感覚がマヒして実感として感じられない。さいわい、私は元気だ。でも、いざコロナに感染しても、後から恥ずかしくなるような取り乱し方はしないようにしよう。そんな気分になってくる。
ペストもスペイン風邪も、多大な犠牲を払いつつも私たちは乗り越えてきたのだから、と。
激しく降る雨を見ていると、数年前に亡くなった父を思い出した。
父が亡くなって数か月、私は眠れぬままに夜明けの雨を眺めていたことがある。
不眠症に悩み、小川洋子さんの『科学の扉をノックする』を読んで夜を明かしたときだった。
その本の一節には、こうあった。たしか、村上和雄筑波大学名誉教授の言である。
「私たちの遺伝子は38億年前に存在したと思われます。そこからずっと進化を遂げてきて、一度も途切れていない。どこかで途切れていたら、もう人間の存在はありません。私は存在できないんです。ですから人間として生まれてきたということは、それぞれの人が38億年間、一度も負けていないことなんです。勝ちっぱなしということです。」
この文章を読んだとき、私は滂沱の涙を流したことを思い出す。
父を思い、死を思い、生きている自分を実感したあの雨の朝。
今日は憂鬱な雨の月曜日だけど、38億年も生き残り続けている私たちの遺伝子を信じて、前を向こう。