あだとなる3月の太陽
3月19日(木)
本日は、ジョルジョーネがテーマの執筆であった。数年前、ジョルジョーネの故郷で行われたジョルジョーネ展を訪れたのが懐かしい。彼もまた、1510年にヴェネツィアを襲ったペストで命を落としている。30才になるかならないかという若い死であった。以前はスルーしていた「ペスト」という言葉に、敏感に反応してしまうこの頃である。
本日、わが町の公園もついに立ち入り禁止となった。
丘腹を利用したこの公園、半ば林のようなもので夏は木陰でのんびりと本を読む人が多い。広大な広さだから、人とすれ違うこともまれなのである。
にもかかわらず、一部のイタリア人が一向に外出を制限しないためにこの公園まで閉鎖されてしまった。
封鎖当時は半ば意気揚々と引きこもろうと決心した(かもしれない)イタリア人たちも、そろそろ封鎖に飽きてきた。
というわけで、ここ数日は散歩だ買い物だと理由をつけて外出する人が増えてしまったらしい。取り締まりは厳しくなったものの、懲りない人が多いようだ。
私の姑もその一人のようで、外の空気を吸いたければ庭に出れば済むだけなのに、やたらにお出かけをしたがる。夫がその危険性を注意すると、「それなら買い物にも行くなってこと?」と逆ギレする。
しかも、イタリア人にとっては運が悪いことに、今年の春はおあつらえむきに良い天気が続いているのだ。
昨年のように、3月になっても氷が張るほど寒かったり大雨が降るのであれば、イタリア人だって家の中におとなしくしていられただろう。
太陽が出たら家にいられないというのは、イタリア人の遺伝子に組み込まれた性癖に違いない。
普段は自宅にいることが苦にならない私も、ベランダから春の太陽を恨めしく眺めている。とはいえ、このウィルスが沈静化するわずか数週間の我慢ではないか。
475人という、1日の死亡者数としては空前の数字を記録した昨日に比べれば、今日はほんの少し亡くなった人は減った。しかし、まだピークを迎えたとはいえず、ついには中国の死亡者数をイタリアのそれが上回ってしまった。
「とにかく家から動くな」。
これが、医療の現場で悪戦苦闘している人々の唯一のメッセージなのだ。どんなに春の太陽が恋しくても、これを金科玉条として引きこもり生活を続行するつもりである。