2カ月ぶりの娑婆
5月4日(月)
フェーズ2に突入した今日、私はマスクと手袋をして歩いて出かけた。
外出制限が緩和されたから、うきうきとさっそく出かけたのではない。朝の夫の不機嫌につきあいきれず、家を出たというのが事実である。
忙しいのはわかるけど、月曜の朝から仏頂面される家族の身に身なってほしい。
というわけで、私にはほぼ2か月ぶりの娑婆の空気である。
お金をおろして新聞スタンドに寄り、パン屋さんとお肉屋さんに寄って帰ってきた。
久々の坂道、マスクをして上るのは拷問並みの苦しさ。人とすれ違うこともまれなので、帰りの上り道はマスクは外した。
バールがやっていないのが少し寂しい。コーヒーとコルネットで一息つきたいところだけど、それはしばらくお預けである。
新聞スタンド広場では、マスクをした人たちが少し距離を置いて大声でしゃべっている。そのうち1人がまどろっこしくなったのかマスクを外したら、すかさず犬の散歩に通ったシニョーラが
「ほら!しゃべるときはマスクをしないとダメでしょ!」
と叱責。
この町のおせっかい気質はみな変わっていない。
新聞スタンドのおじさんも元気だ。唯一違ったのは、お金を払う時以外は彼が窓ガラスの向こうにいることだ。物理的に消費活動をするのも2カ月ぶり、というわけで雑誌を2冊購入。
パン屋さんのエレナもマウリツィオも元気だ。
「ついに私たちも、あなたの国の人たちみたいにマスクして働いているわよ~」と明るい。
用品店も、まだ開店はしていないものの開店に向けてシャッターを開けて中で作業をしているようだ。
都会では一気に増えた人々に警鐘を鳴らす記事もあったけれど、田舎はたいしていつもと変わらない光景だった。
家に帰ってきたら、夫の不機嫌もいくぶん緩和。
今日は、午後に学校のクラス代表会議もあったらしい。オンラインの会議に参加しつつ、仕事のチャットをこなすという二刀流である。
実家の母のもとには、私が贈った『コロナの時代の僕ら』が届いた。
作者のあとがきも素敵だけど翻訳者のあとがきもよかったわ、とは母の言。
その翻訳者の飯田さんは昨夜、ほろ酔い気分で「コンテ首相がFBに発表した文章、訳してほしい?」とつぶやいていた。無粋なお願いと知りつつ「ぜひ!」と頼んだら、数時間後に早くもアップしてくれた。
飯田さんいわく、本当は「僕らは」って主語を入れようとしたのだけどそれはあざとすぎるからね、とのこと。
僕らは、なんて入らないほうが、コンテ首相の声がそのまま日本語に変換されて聞こえてくるようだ。文才がある人というのは、文章の中に原文を書いた人の人柄まで伝えてしまうのだ。
以前、小川洋子さんが「翻訳者とは言葉の海の底に沈むダイバーのようだ」みたいなことを書いていた。無頼な飯田さんの端正な文章を見るたびに、本当にその通りだなと思う。
そして今朝は友人とチャットでよく語り合った。
彼女の昨日のブログの記事が元気なかったので、朝こちらからメッセージしたのが始まり。境遇が異なる中にあっても、共通の話題で盛り上がれるのはありがたいものだ。
私もここ数日落ち込んでいるけど、彼女も元気がない。
そして、もう10年のおつきあいになるshohojiさんも、「籠る生活は苦にならない。それよりも、今後の社会復帰におびえてる」と書いていらっしゃる。
同じような思いの人がいるのだなあと思うと、少し安心する。
鬱までいかなくても、2カ月の引きこもり生活でさまざまな感覚がマヒしてしまっているのかも。
固まってしまった私たちの肉体も精神も、リハビリが必要なのだ。
とはいえ、第2フェーズは終わりではなくはじまりである。
今後発生するであろう処々の問題に、私たちはコンテ首相の言のごとく信頼と責任をもって対処しなくてはならないのだろう。
自分がよければそれでいいという考えは、成熟した大人にふさわしくない。コンテ首相の言葉を読みながら、私も年齢にふさわしい振舞をしなくてはと思ったことであった。