イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

夫、2カ月ぶりに出社

5月6日(水)

今日は、夫が2カ月ぶりに出社した。事務上の手続きで、どうしても物理的に出勤する必要があるのだそうだ。

久々に娘と二人、ああやれやれ、といったところである。

雨でまったく外出していないという日本の母と長電話し、娘はその後オンライン授業。

私は仕事にいそしみ、山ほど洗濯をした。家の中に男がいないというのは、本当に気が楽だ。夫とラインでやり取りするのも、実に2カ月ぶりだ。

 

娘は最近、男の子たちと混ざってオンラインゲームに興じている。

どこの家でも、「まずは宿題をやってからよ!」といわれるのだろう。ゲームをするのは午後の遅い時間である。

普段はゲームなどほとんどしない娘に、男の子たちはよくつきあってくれる。時々口げんかになっているが、学校でもきっとあんなふうなのだろうと微笑ましい。

 

世界的にコロナの勢いも下火になってきたかなあと思える記事も多いが、今日はまた死者の数が増えてしまった。

とはいっても、経済はもう待ったなしで、州によってはバールや美容院など6月1日から再開とされていた業種も、来週には店を開くというところもある。

そういえば、美容院や床屋さんが休業せざるを得ないのに、コンテ首相の髪の毛はいつも整っている。長さも伸びていないことから、「やっぱり首相だからお抱えの美容師がいるんだろ」とやっかみの声が聞こえていた。ところが、コンテ首相は「僕は大学時代から、自分の髪の毛は自分で切ってるんです」という談話が発表されて和んだものである。

 

このまま、なし崩し的に封鎖は解除されていくのかもしれない。昨日のテレビでは、イタリアは過去15年間、マスクの生産はしてこなかったそうだ。にもかかわらず、今は全土で店などの空間ではマスクの装着が義務となっている。

バールが再開しても、以前のように常連さんが無制限にだべるというイタリア本来のありかたには戻れないだろう。

こうも急激にすべての事象が変化していく過程を目にすることなど、人生の中でそうそうあるものではない。

 

courrier.jp科学革命が起こって、かつては静かに受け入れられていた死に人々は怒りを感じている。ハラリさんはそう語っているけど、現代人である私にとって、やはり理不尽に訪れる死は早々簡単に受け入れられないと思う。

 

ホイジンガは、『中世の秋』でこう語っていた。

 

「世界がまだ若く、五世紀ほどもまえのころには、人生の出来事は、いまよりももっとくっきりとしたかたちをみせていた。悲しみ喜びのあいだの、幸と不幸のあいだのへだたりは、わたしたちの場合よりも大きかったようだ。」

 

「すべてが、多彩なかたちをとり、たえまない対照をみせて、ひとの心にのしかかる。それゆえに、日常生活はちくちくさすような情熱の暗示に満たされ、心の動きは、あるいは野放図な喜び、むごい残忍さ、また静かな心のなごみへと移り変わる。このような不安定な気分のうちに、中世都市の生活はゆれうごいていたのである。」

世界は年齢を重ねても、たいして進歩もしないでそれほど変わっていないのかも、と思うこの頃である。