イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

復活祭休暇はじまる

4月10日(金)

昨日までは自宅で仕事をしていた夫も、今日から休暇に入った。

封鎖になってこのかた、四六時中一緒にいるので休暇といわれてもピンとこない。

そして、昨日までは天気は良くともまだまだ風が冷たかったわが町も、今日は一転、気温が上がってきた。皮肉なものだ。

 

お昼はカブの葉と油揚げの入ったうどんをすすり、午後はサッカーをする。

チョコレートを入れたパンケーキを焼く。

娘とサッカーボールを使って鬼ごっこ。「ママ、それはノーコーセッショクだよ!」なんて、昨今のニュースのせいで妙な日本語も飛び出す。

復活祭のためにスーパーに並ぶ人は増えているようだが、もともと宗教的でない我が家は、特に特別なものを作ろうという気はなし。いつも通り、飢えずに食べられればいいかという程度。娘のために、イースターエッグは買ってあるけれど。姑も1人で我慢しているのだし、いずれ全員で豪華に食べればいいと思っている。

 

今日は、noteにおいてパオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』が無料公開されていて、むさぼるように読んだ。

封鎖になってこのかた、新規の本を読む気力がなくなっている。読む本は、過去に読んですでに内容がわかっているものばかりだ。「女系家族」の次は「鬼怒川」を読んでいる。ちょうど、スペイン風邪が登場するシーンがあった。抗生物質が世に出る50年も前に世界を荒らしたのが、スペイン風邪であったのだ。

 

『コロナの時代の僕ら』は、物理学の博士号を持つ若い作家のエッセイである。

訳者の巧みさもあるのだろうけど、透徹した文体と冷静な視線、エッセイとしてはちょうどよい長さの章で構成されていて、なるほどなるほどと思うことばかりであった。

 

www.hayakawabooks.com

 

今回の流行で僕たちは科学に失望した。確かな答えがほしかったのに、雑多な意見しか見つからなかったからだ。ただ僕らは忘れているが、実は科学とは昔からそういうものだ。いやむしろ、科学とはそれ以外のかたちではありえないもので、疑問は科学にとって真理にまして聖なるものなのだ。今の僕たちはそうしたことには関心が持てない。専門家同士が口角泡(あわ)を飛ばす姿を、僕らは両親の喧嘩を眺める子どもたちのように下から仰ぎ見る。それから自分たちも喧嘩を始める

 

これなんて、ほんとほんととうなずくことばかりであった。

この本は、母にも贈ろうと思う。イタリアに関する変な報道が日本のニュース面を騒がせているが、こちらの本のほうがよほど本質的だ。質の高い本にふさわしく、装丁も美しい。

 

時間があるのだから、この時とばかりに内容のある本を読めという論調が多いけれど、平常心を持てないままで新たな世界に踏み出すのは骨が折れる。

私も、封鎖が始まってすぐに電子辞書を買い込んだ。が、新しい本はなかなか読めないでいる。結局、過去に読んで肌になじんだような文章ばかりを読んでいる。それでも、じゅうぶんに慰めになる。

 

午前中は、毎日実家の母に電話をしている。

母は思いのほか元気だ。感染の怖さをいやというほど毎日言い続けたので、人がいない時間に買い物に行き、運動不足を解消するためにこれまた人通りの少ない道を選んで歩いて用を足しに行くことが多いようだ。

庭もあるし歩いていける距離にはスーパーもコンビニも揃っている。なによりもこの時期、父が残してくれたもので生活のことを思い患う必要がないのは強みだ。当分は会えそうにないから、とにかく元気でいてほしい。

 

「まさかという『坂』はありませんよ」

なんてセリフを小説で読んだことがあったけど、3月からこのかた、そのまさかばかりが起こっている。

イタリア全土封鎖延長のニュースも、そのまさかのひとつだ。いや、予想はしていたけど、実際にそうなりますといわれるとまた別の感慨がある。

これからもいくつもの「まさか」を迎えるのが、通常の状態になるのだろう。

2020年の復活祭を一族郎党が集わずに過ごすことになるだなんて、そのまさかの最たるものだ。これから起こる諸処の経済問題も、まさかが山ほど詰まっている。