初もの七十五日
今日は、気持ちよいほど晴れた。
というわけで、イタリア各地では出歩く人が多くて問題になっている。
我が家は食べるものが尽きてきたので、夫が一人で農家直営市場に出かけて行った。
この市場は、イタリアが全土封鎖直後に開催を中断していた。その後、人と人との距離を保てるスペースがある場所にかぎり、再開が可能となった。
スーパーと違い、それぞれの農家が作物を持ち寄るので、長蛇の列もできていなかったそうだ。
というわけで、これをどうやって消費するの?と唖然とするほどの量の野菜を買い込んできた。
アスパラ、キャベツ、サラダ、アーティチョーク、ズッキーニ、ソラマメ、アグレッティ、長ネギ、エトセトラエトセトラ。
おお、ようやくあのブロッコリの季節が終わったか、と実感した。
というわけで、お昼は取れたてのズッキーニで卵焼きを作り、ペコリーノチーズとソラマメをたらふく食べた。
初物というのは、なぜこうも美味しいのだろうか。
初物を食べると75日寿命が延びるというのも、まんざら嘘ではないのかもしれない。
食後にコーヒーを飲んでベランダで日向ぼっこをしていると、コロナの憂さなど忘れてしまいそうだ。
お昼過ぎ、イギリスのケンブリッジ大学で教鞭をとる夫の友人から電話あり。
彼は物理学において優秀で、夫の大学の同級生の中では希望の星である。
にもかかわらず、今日はすこぶる元気がない。
なんでも、上司に当たる教授はコロナで亡くなり、会食をした同僚たちも次々に感染して非常に具合が悪いのだそうだ。彼、アルベルトは変な予感があって、会食にもその後のパブの二次会も参加しなかったそうだ。予感は、不幸にして当たってしまったという。
私たちの周りには、今のところ知り合いでコロナに感染した人はいない。だから、コロナの本当の悲惨さというのは数字でしか実感できない。
しかし、ケンブリッジにいるアルベルトの憔悴ぶりを電話で知ると、やはり油断はしてはならぬと思うのである。
天気は春うらら、来週は復活祭、しかしここで我慢をしなくてはこれまでの努力が水泡に帰す。
たとえ家にこもっていても、風の薫りは春を運んできてくれる。
吹く風の さそふにほひをしるべにて 行方さだめぬ花の頃かな
今年の春は、いつもの春とは違うものを見、感じることだってできるかもしれないではないか。
ナヴォーナ広場では、人がいない間に敷石のあいだから草が生えてきた。
— cucciola (@cucciola1007) 2020年4月4日
Coronavirus, niente turisti in piazza Navona: tra i sampietrini cresce l'erba https://t.co/es9PbQxoV9 @repubblicaさんから
私は、なにがなんでも家から出ないで感染防止の一助になるつもりである!