イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

棕櫚の日曜日

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ジョット作『エルサレム入城』

4月5日(日)

ずっとキリスト教系の学校に学んできた私だが、信者ではない。

夫も、現代の教会のありかたを嫌悪していて、ゆえに我が家はまったく宗教行事とは無縁である。

しかし、復活祭はクリスマスと並ぶカトリック教徒には重要な祭日だ。

今日は、棕櫚の日曜日といって信者さんたちが教会にミサに行き、オリーブの枝をもらってくる習慣がある。

今年はそれがかなわない。

近隣のフラスカーティでは、教会に50人の信者さんが集まって、オリーブの枝をもらおうとしたらしい。すぐに警察が介入に入った。

日本でいえば、お正月やお盆の時期に「感染の恐れがありますので移動しないでください」といわれるようなものだろう。

信仰というものが、特定の人たちの心の支えになっていることはよくわかる。それだけに、祈りの場である教会に入れないことは信者さんにはつらいに違いないと思う。

 

我が家は、そのようなもの想いはない。

日曜日ではあったが、夫は早起きしてスーパーに出かけて行った。野菜はたんまりとメルカートで買ってきたのだが、乳製品や洗剤も必需品だ。

8時前に出て行って、帰ってきたのは10時半近く。やれやれ、と言ったところ。

 

お料理のプロの友人からバラ焼きなるもののレシピをもらったので、夫にそれ用のお肉を頼んでおいたのだが、それは見つからなかったそうだ。

豚肉のブロックを買ってきたので、チャーシューにしてお夕飯はラーメンを作った。

ささやかな幸福なり。

 

午後のひととき、天気が良いここ数日は家族でサッカーをしている。

敷地はそれほど広くないのだが、お日様の下でボールを蹴るだけで気分は爽快になる。

ニュースを見ていれば心穏やかではないことも多いけれど、平常心を保ちつつ明日からの1週間も引きこもるつもりである。

 

今日の名言 宮本輝『花の降る午後』より

「人間には二種類ある。辛くて寂しくて悲しいことは、いつまでも続かない。必ず終わるときが来る。その終わったときに、弱くなるか強くなるかの二種類だよ」

 

自分の人生を鑑みるtに、年齢なりのふてぶてしさが身についたと思う反面、相も変わらず度胸がない面も大いにある。疫病の悲劇が終わった時、人間は弱くなるか強くなるかではなく、弱くもなるし強くもなるのだろうなと思っている。