照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜
4月29日(水)
今夜は、朧月夜が美しい。
まさに、照りもせず曇りもはてぬといった趣である。
今日も寒い日だった。
朝は雨も降っていて、夫が向かった青空市場はほとんど人がいなかったそうだ。
というわけで、ルッコラやバジリコの束をたくさんおまけにもらってきた。
ここ数日、体調もさることながら心の中もモヤモヤしている。
外出制限が解除された後のことが、とても不安ということもある。
イタリアが全土封鎖に踏み切った時、1日の死者数は200人弱だった記憶がある。今日は、まだ300人強の人が亡くなっているのだ。
経済状態がもうギリギリにあるのはわかっている。
しかし、一部解除をしたドイツも感染率が上がってしまった。封鎖が解除される5月4日、ストレスをため込んでいたイタリア人が一斉に「親戚訪問」の名のもとに外出して渋滞する光景が目に浮かんでしまう。
1人で気に病んでも仕方がないとはいえ、鬱々とした気分になる。とりこし苦労であることを祈ろう。
そんな気分が夜の夢にも反映したのか、昨夜は夢見が悪かった。
夢の中で、私はなぜか死んでいて、自分の体が焼かれて骨になったのを見ているというおどろおどろしい夢だった。やれやれ。
毎日連絡をしている実家の母は思いのほか元気で、今日は「あなたの旦那さんに質問して」という。
母:「コロナはいつ頃終息するかしら」
夫:「当分は終息しない気がする」
母:「私にも、もう世界が元に戻れないのはわかっているけど、このまま家に籠っていたら呆けちゃいそう」
夫:「今は、我慢するよりほかないと思う」
母「世界はどうなっちゃうのかしら」
夫:「きっと、より良い世界になる」
夫は、毎日コロナに関する論文を読んでいる。本業とは関係ないし専門ではないけれど、同僚たちのあいだでも話題になる信ぴょう性のある論文には目を通す。それを知って、母はこんな質問をしたのだろう。
通訳しつつ、「きっとより良い世界になる」には私も驚いた。
本気で言っているのか冗談で言っているのか、わたしにも定かではなかったけれど、まあこのように悲観的でない意見を聞くのは良いものだと思った。
母もすっかり喜んで、そうよね、よりよい世界になってほしいわと言っていた。
そんな単純なことではないだろうけど、母は大いに元気が出たと鼻息ふんふんだった。
夜、ずっと音沙汰がなかった娘のピアノの先生から電話があった。
娘は、ピアノはあまり熱心ではない。イタリアの学校は音楽教育がないから、私はなんらかの形で音楽を学んでほしいと思い、半ば強制する形で習わせていた。
先生は、ビデオか何かを使ってレッスンを再開したいという意向のようだが、年齢を考えるとそれほど簡単ではないらしい。5月4日には、外出制限の一部に解除になるから、レッスンに使っていた中学校も開かないかしら、というわけだ。
夫は、消毒や衛生状態を考慮するとそれは難しいだろうと答えていた。
本当ならば、6月にはピアノや新体操の発表会があるはずだった。熱心な先生だから、コロナに屈して恒例の発表会を断念するのはつらいに違いない。
そんなこんなで、今日も終わる。
今夜はよい夢が見られますように。