イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

命日に父を思う

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6月4日(木)

今日は、父の命日だった。

本来なら7回忌。娘が夏休みに入るのを待って私たちは日本へ向かい、法事を行う予定だった。その里帰りがおぼつかないので、母は法事を延期。お坊さんも、快諾してくれたという。

父が亡くなってもうそんなにたつのか、と思うのは毎年のことだ。

亡くなってから1年は、本当につらかった。体の芯が抜けてしまったようで、私はよくよくお父さんっこだったのだと実感したものだ。

 

歯科医の父は、仕事と釣りが趣味というほど仕事熱心だった。家のことは母に丸投げ、母はよく「ほんとうに『よきにはからえの殿』なんだから」と文句を言っていた。娘の私には本当に甘くて、声を荒げたことなど1度もなかった。私は顔は母親になのだけど、性格は父にそっくりだ。食の嗜好までよく似ていて、2人でプロ野球ニュースを見ながら、父が釣ってきた鮎を塩焼きにしてよく食べたものだ。

仕事が好きで働き者であったけど、がつがつとお金儲けをすることはまったくできない人だった。生涯、静岡県藤枝市の町医者として、職務を全うした。

働いて得たものを、惜しげなく家族に与えてくれた父。

父と過ごした最後の日々、桜を見に行ったことや、娘と父と手をつないで3人で散歩に行ったことや、あれもこれもすべてが懐かしい。

さくらが葉桜になるころ、父の症状が落ち着いて、私と娘は2月から滞在していた日本を後にしてイタリアに戻った。しかし、母もいたく体が弱ってしまって、結局父は24時間看護の病院に入院。

その数日後に、病状が急変してしまった。とんぼ返りで娘と日本に帰った私は、空港から父のもとに直行した。ずっと意識がなかった父なのに、私が「お父さん」と声を掛けたら目を覚まして上半身を起こそうとして、「俺も家に帰る」と言ったのを思い出す。

精神的にも弱ってしまった母は肺炎を患い、私は4歳の娘と毎日病院に通った。意識があったりなかったり、その日によって症状はさまざまだったけど、ある日突然、父のむくんだ手が氷のように冷たくなった。

その日は娘も風邪をひいていて病院には来なかったから、私は一人で父の横に黙然と座り、むくんだ手を握り続けた。あれがお別れだった。

翌朝早く、病院から電話があり、私たちが着くのを待っていたように父は息を引き取った。虫歯の日に逝った、歯科医の父。

「ママ、ノンノが冷たくなっちゃった」

娘の言葉は呆然としていた私に、しっかりしろ、とかつを入れてくれたようなものだ。葬儀の準備や死後の書類の処理は、遺族にとっては気を張って過ごすための手段なのかもしれない。母はあのころ、身を起こしているのがやっとという状態であった。

棺に入って手を組んでいた父の指からむくみが取れて、私が大好きだった節の高い細い指に戻っていたことがなぜか忘れられない。父は色白の人で、指も細く節が目立ち、腕の血管がくっきりと浮かび上がるのが、私は子供のころから大好きだった。

「お父さん、また会おうね」

私はそう言って、父を天国に送った。

結婚して遠くに来てしまったのに、最後を一緒に過ごせたのは、今でも救いになっている。納得したお別れだったのに、あの後の1年は地獄だった。母もきっと、同じ想いだったと思う。イタリアと日本に別れていても、2人とも体調不良や不眠やありとあらゆる症状に苦しんで、それが母と心を通わしているという変な救いでもあった。

あれから6年。

母は心穏やかに暮らしている。娘も元気に育ち、私も食べるにも困らず健康に恵まれている。夫とも、けんかしながらもお互いを思いやって暮らしている。

しばらくは日本には帰れそうにないから、父に花を送った。お供え用の花だけど父は辛気臭いことが嫌いだったからきれいなお花でまとめてください、とお願いした。母が、その花の写真を送ってくれた。

父は、「そうか」とか「そう」という言葉をつぶやくとき、「ほうか」とか「ほう」というのが癖だった。

贈られた花を見て、目を細めて「ほうか」と笑う父が目に浮かぶ。本当なら、父が好きだったチーズや、コテコテのパスタやピッツァをお供えしたいところだ。

6年。ほんとうに、あっというまに過ぎてしまった。それでも、父が遠くに行ったという気持ちがしないのはなぜだろう。

「元気なうちに、もう一度イタリアに行きたかった」と言った父の言葉はつらかったけど、カルボナーラやカーチョ・エ・ペーペを作るたびに、娘は「今日はノンノもうちに来て、一緒にパスタを食べるねえ」という。本当にそうだ。父はきっと、私たちと一緒にいる。もう食事療法なんてする必要もないから、大好きなピッツァもパスタも好きなだけお代わりしてよ、お父さん。

私は今もお父さんが大好きで、生身のお父さんにとても会いたいよって伝えたい。

合掌