イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

母の日

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実家の母に贈った花とクッキー

5月10日(日)

母の日である。

実家の母からは、たくさんプレゼントありがとうというメッセージとともに写真が送られてきた。

午前中、母とスカイプで雑談した後、今度は姑の家に向かう。

家を出た小道で、顔見知りのおじいさんに出会った。以前はほぼ毎日顔を合わせていたお爺さんだけど、封鎖になってから私は外に出ていなかったから彼と会うこともなかったのだ。

お元気でした?なんて気楽に声を掛けたら、おじいさんは不意に大粒の涙をこぼしたのでびっくりした。話を聞いたら、なんと彼の息子さんが若干45歳でコロナウィルスのために亡くなったという。驚きのあまり口がきけない私たちに、「残された2人の孫のことを思うと…」と声を詰まらせた。

私の周辺で、コロナに感染した人は皆無だったから、おじいさんの話は大いにショックだ。これから、顔を合わせるたびにつらい思いをすることになるだろう。

 

姑の家に着く前に、花屋とジェラート屋に寄った。

どちらも店の前に列ができていたので、夫は花屋、娘と私はジェラート屋に並ぶ。夫が言うのには、母の日で大忙しの花屋はまだこの状況に慣れていなくて、かなりパニクっていたそうだ。ところが、封鎖も2カ月がたち列に並ぶことに慣れたお客のほうが要領よく立ち回り、混乱など起きなかったのだという。

ジェラート屋も、「接客はお1人様」と書かれているルールを守って、みんな1メートル以上の距離を保って並んでいる。

イタリアの歴史の中でこんなに秩序を守っているのは初めてじゃないのかな、と夫は独り言ちていた。

 

健康オタクの姑は、この封鎖中にまた食生活を変えていた。

疫学者フランコ・ベッリーノの影響を受けて、ベジタリアン生活をしているのだという。家でもあまりお肉を食べないので、娘はノンナの家に行ったときはお肉が食べられると思って楽しみにしていたのだ。それなのに、登場したのはリコッタチーズとほうれん草を使ったカンネッローニ。娘はがっかりである。

 

午後は、姑の家の庭で水まきをしたり写真を撮ったり日向ぼっこをしてゆったりと過ごした。スウェーデンにいる義弟にも電話を掛ける。レストランを経営している彼も、ロックダウンしないストックホルムにいるから状況は必ずしもよくはないらしい。

声には張りがなかった。昨日から落ち込んでいる私も、あろうことか生まれて5カ月の姪っ子の名前を間違えて呼び掛けてしまうヘマも。娘は、「ママ、ほんとに大丈夫?」とやたらに心配してくれた。その娘からは、私の身の丈に合わないような手紙がプレゼントされて、ちょっと面映ゆかった。

 

帰りは、娘のクラスメートの家に寄り、先生から預かったという教科書を受け取る。教科書なしの授業はもう限界で、父兄2人が代表して全員分の教科書を先生から受け取っていたからである。マスクと手袋をして門まで出てきたママは、本を渡しながら夫に「クラス代表のあなたにいつも注文ばかりしてごめんなさいねー」と笑った。彼女の息子さんとは、娘はいつもオンラインでゲームをしている。ゲームなんて全く得意じゃない娘のほうがえばり散らしているのだから困ったものだ。イタリアの男の子たちは、マンマをたててクラスの女の子に従って、たいした処世術の持ち主だと思う。

 

帰りはついでだからとスーパーに寄る。日曜日の午後だから、列もなく空いていた。中はほとんどお客さんがいなかったため、家族3人で入れてもらえた。

魚に飢えていた私は、ようやく今日鯛と鮭を買って、夜は白いご飯を炊いて満足した。

 

久々に車で高速を走り、5月の太陽を浴びた今日。

思い立てばすぐに近隣の町へと出かけていたころがつくづく懐かしかった。日本への便がキャンセルされたことを伝えた時娘は大泣きをしたけれど、私も本当に日本が恋しい。

イタリア人も、人と会ってもキスもせずハグもせず、マスクをして距離を置いて、視線だけを交わして互いを抱擁する。マスクで口元も見えないから、本当に相手の目を見て話すことが多くなった。

私が住む町はまだ涼しいけれど、ローマはもう夏の陽気だった。そんな暑さの中でも、イタリア人はまじめにマスクをして生活を続けている。鬱々している私には、久々に世間を見ただけで過敏に反応してしまう。これも、コロナというウィルスがもたらした新たな感情というものかもしれない。