はるかに照らせ 山の端の月
4月8日(水)
イタリアは死者数がまた増えているけれど、4~5万件の検査を毎日行い、陽性率が7パーセント台まで下がってきた。集中治療室にいる患者さんも5日連続で減少していて、ようやく1か月を超える封鎖の結果が見えてきた。先は長いけれど。
昨日なのか今日なのかは定かではないが、スーパームーンが話題になっていた。
我が家は南西に向いているので、夜寝る前にベランダで眺めた時にはかろうじて山の上から顔を出した月が見えた。
まったく、この世相を照らす明るい月であってほしいと思いつつ、思い出したのは和泉式部の名歌。
くらきよりくらき道にぞ入りぬべき遥かに照せ山の端の月
毎日ニュースを見ていて、感染の拡大が縮小しているのを見ればめでたいとは思うものの、1か月も仕事ができずに本当に今日のご飯にも事欠く人は多いだろうとつらくなる。
わが町では、市役所がしきりにアナウンスして、生活に難を感じている人は援助があるから必ず連絡するようにと回覧している。
しかし、自分で働いて手にするパンと、援助としてもらうパンでは味だって変わってくるだろう。それは、自分の存在意義にかかわる問題だからだ。
なにか、社会のあちこちでひずみが生まれて、ぎしぎしと軋む音が聞こえてくるような気がする。
昨日、小学校の真ん前に住むママの1人が、クラスのチャットに学校の写真を載せていた。
花だけが、例年通りに咲いている。
「送り迎えの時間の大騒ぎがとても懐かしいわ」という文言とともに乗せられた写真。なんの変哲もない学校で特に思い入れもなかったのだけど、子どもの姿がない学校の写真に胸をつかれた。
本来ならば、明日から子どもたちも復活祭休暇のはずだった。
親戚同士が集い、ごちそうをたらふく食べて、子どもたちはみんなからもらう卵型のチョコレートを楽しみにしていたはずだ。
まったくメリハリのなくなったこの生活なのに、今日は担任の先生からどっさりと「復活祭休暇中の宿題」が送られてきた。やれやれ。