諧謔の精神
事態は、刻一刻と深刻化している。
世界中が国境を封鎖し始めて、なんだか本当に中世の世界に戻ろうとしているかのようだ。
イタリアではいよいよコロナウィルスが南下を始めたのか、マルケ州や南部でも新たな感染源が明らかになり、それぞれの自治体は右往左往している。ローマ近郊の田舎である私の町にも、今朝感染者が確認された。いよいよここまで来たか、という思いを深くする。
ロンバルディアのコロナの火も、なかなか鎮火しない。
ここ数日は、ベルガモの状況が重々しく取り上げられることが多くなった。
その一方で、元気な人々はしきりにフラッシュモブを計画して励ましあっている。
あまりに毎日いろいろ計画されるので、しまいには「コンテ首相は、ついにバルコニーへの出入りを禁止」なんて冗談まで流れてくる。
事態が深刻化しても一向にやまないのが、こうしたさまざまなジョークなのだ。
最初はうるさいなあと思ってやり過ごしていた私も、ここ数日そのおかしさにずいぶん助けられている。イタリア人が次々にアップする剽げた動画や画像は、この国に諧謔の精神が生きている証拠なのだと思う。ドイツ人には唖然とされているらしいけれど、イタリア人は遺伝学的にこうした冗談が大好きなのに違いない。
他国にはずいぶんバカにされるイタリア人のこの「いいかげんさ」も、いざとなると強さを発揮する。笑いに免疫力があるというのならば、この諧謔の精神は今なによりも私たちの心身を支えてくれる要素となりうる。
このジョークが垂れ流されてくるおかげで、私個人はともかく、イタリアの社会が意気消沈しているとか悲観的であるとかいう気持ちにならないからありがたい。
日本のヤフーニュースだけを読んでいれば、現在のイタリアはいかにも暗い。
しかし、台風の目の中にあるイタリア人たちは案外たくましく生きている。そして、ニュースで伝えられる重苦しい数字にも客観的である。それに、体は元気でも精神が落ち込んで自殺なんてことになったら元も子もない。笑いはやはり大事なのだ。
私がいま願うことはただひとつ、この気力がコロナウィルスが終息するまで保ってほしいということのみだ。短期戦ならば一気に勢いでかたがつくだろうけど、コロナは長期戦だ。
イタリア人のオプティミズムが、どうか枯渇しないでほしいとひたすら願っている。