封鎖35日 通常運転の月曜日
4月13日(月)
今日はパスクエッタである。
復活祭の翌日、本来ならば郊外でバーベキューをしたりピクニックをしたりする風習がある。
ここ数年、そのパスクエッタは悪絵天候や冬のような寒さになることが多かった。
今年は雨こそ降らなかったものの、昨日のような好天には恵まれず。とはいえ、外出したい病にかかっている人には酷な天気である。
外出制限のある今年こそ、大雨でも降ればよかったのにと思ってしまう。
我が家は、通常の月曜日となった。
夫も私も朝から仕事、娘もここ数日宿題をさぼっていたのでパパに怒られて朝から机に向かう。
パスクエッタというのはイタリアだけの習慣なのだろうか。夫はなぜか、英語で仕事の相手と電話まで始めていた。
お昼過ぎ、スウェーデンにいる義弟夫婦と電話。
スウェーデンは封鎖もしないで頑張っている国ではあるが、ここ数日死者数も増えている。小さい子供2人とレストランを抱える義弟にとって、コロナは重い問題だろう。
とはいえ、社会保障という点においては高名なるスウェーデンである。いざ封鎖となれば、手厚い助成があるに違いない。実際、義弟は屈託しているものの、先行き真っ暗という感じではなかった。
明日からは、書店と文具店、そして新生児用の子供服のお店が再開する。
それはめでたいことではあるけれど、こうして順番にさまざまなお店が開いていけば、後に残ってなかなか再開できない業種の人々はどれだけ焦燥感を覚えるだろうか。
義弟も懸念していたのは、レストランやバールが再会できても、1メートル以上の距離をあけなくてはいけないとなれば、例えば通常は35人入るレストランも10人前後しか収容できないかもしれない。長期の休業に加え、こうした制限はさらなる打撃となってしまう。
夫の仕事も、経済状態が悪化してあちこちの研究室や大学で研究費を削られれば業績は悪化する。あっちを向いてもこっちを向いても、心が暗くなることばかりだ。
午後、親友とチャットをしながら少し気晴らし。
ツィマーマンのラフマニノフを聞いて、その低音が心地よかった。
夕方、娘はいつものようにクラスの友達とチャットを開始。
夫もベッドに寝転がって本を読んでいる。
私は好きなフレーズを書き記したノートを持ち出して、過去に気に入った文章に目を通す。
今日、気に入ったのは室生犀星の「切なき思ひぞ知る」。
最後の部分
我はつねに狭小なる人生に住めり、
その人生の荒涼の中に呻吟せり、
さればこそ張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。
胸にじいんとくる。
封鎖35日。荒涼な世界の中で、人々は呻吟しつづけている。