娘に会いにアブルッツォへ
7月12日(日)
この週末、娘と姑が過ごすアブルッツォに行ってきた。とはいっても、あちらに着いたのは土曜日の夕刻。土曜日の午後は、我が家の周辺で売りに出ている家を何軒か見学。具体的に将来どうするのか、まったくビジョンが不透明なまま家探しをしても無駄だと思うのだけど、思春期に入ろうとしている娘の成長を考えると今の家は確かに狭すぎる。まあ、参考までに見ておこうという程度だった。実際、見ても感慨はわかず、家族での話し合いが必要だなと実感。
夕刻にアブルッツォのピネートに着くと、娘は1週間で日焼けして真っ黒になっていた。男の子ばかり3人、友達もできて毎日浜辺で遊んでいるそうだ。夕方になると、住民のおじいさんたちも浜辺に出てきてゲームを始めるので、それにも参加しているのだそうだ。わが娘ながら、順応性の高さにはびっくりさせられる。おまけに、ホテルで働くお兄さんに恋までしていて、内容が濃すぎる1週間である。
私たちも海に行くつもりで準備をしていったのに、「海はちょっと飽きたから山に行きたい」なんて言い出した。そうはいっても、トレッキングシューズなど持参していない。妥協して、最寄りのテーラモという町に行ってみた。
曇り空であったせいもあるけれど、そして10年前のラクイラの地震の影響もあるのだろうけれど、テーラモも町はひどく暗かった。日曜日でお店が閉まっているからという理由もあるだろう。それにしても、バカンスシーズンの週末だというのに、観光客を阻むようなよそよそしい雰囲気が漂っていた。
町の中心にあるドゥオモは素朴ながら美しく、唯一の見どころといったおもむき。
不思議なことにこの大聖堂、身廊部分に立つと祭壇が右にずれている。目の錯覚かと何度も確かめだのだけど、はやりずれている。
ミサが終わってかたずけをしているお坊様に理由を尋ねたら、非常に興味深い答えが返ってきた。
ヨーロッパの教会は、たいがい十字架の形をしている。テーラモの大聖堂は、十字架にかけられて苦しんだイエスが、わずかに頭部を右に傾けた様子を表現するために、わざと祭壇部をカーブさせたというのだ!
実際、家に帰ってウィキペディアを見たら、こんな設計図になっていた。
祭壇部が、右にずれている。
数多の教会を見てきたけれど、こんな経験ははじめただった。
テーラモの町は、古代の遺跡から中世の街並みが混とんとしていてなかなか見どころはあるのだけど、なにしろお店がすべて閉まっている。レストランも、見つからない。
車で郊外に出て、ようやくアグリトゥーリズモを見つけてそこで食事。さすがアブルッツォ、素朴だけどおいしいご飯だった。
娘と姑を滞在先に送り届け、私たちはまたローマにもどる。今日は1日曇っていて、グランサッソも霧に包まれていた。帰りにスイカを購入し、今夜はこれで済ませるつもり。
明日からまた月曜日。頑張って働こう。