イタ飯百珍

イタリアが「他国に負けない!」と気を吐いているもの、それが「食」!最近は備忘録。

「私はまちがってない!」と我を張るのも疲れるものだ

7月23日(木)

昨日は仕事において非常にうれしいことがあったので、少し浮かれていたことは否めない。しかし、だからといって慢心したりなにかをなおざりにしたことはまったくなかったのに…。

 

今日は、朝からついていなかった。

数年来付き合いのあるこのクライアントは、これまでも粗暴な言葉遣いでずいぶんとつらい思いをさせられてきた。顔を見ることもない仕事の相手だから、やり取りをする際の言葉の選択については、私はかなり気をつかう。だから、相手が同じ態度で接してくれれば、敏感にそれを実感できる。そのようなクライアントの仕事には、通常にもまして力が入る。今日のクライアントは、そういうデリカシーがない人なのだ。仕事とわりきってつき合うしかない。

今朝、送られてきたクライアントのメッセージには、「面倒」という言葉が含まれていた。仕事であるから、「面倒だな」と思うことは誰にでも多々ある。しかし、それを真っ向から相手に放り投げるだろうか。ふつうは、否である。夫婦間でやらかしたら、まず喧嘩になる。

相手が「面倒」と言った理由は、こちらもバカンスシーズンに入るので8月の仕事についてこのようにしていただいていいですか、とお伺いを立てたことに対する返答であった。昨年までは、ごく普通にお互いのあいだで交わされてきたやり取りである。数年来のつき合いの中で慣習となっていたから、ごく普通に送ったメッセージなのである。それなのに、にべもなく「面倒」という言葉で片づけられてしまったのだった。

私は意地悪をされているのだろうか。相手に悪感情をもたれるようなことを、しでかしたことがあっただろうか。過去を振り返ってみる。納品の遅滞は一度もないし、修正には素直に応じてきた。ムカッと来ることがあってもまずは深呼吸し、感情的な言葉を送ったこともない。

私は、悪くない。

午前中は、その想いにさいなまされた。「面倒」という2文字を無造作に投げつけられただけで、こうも落ち込むものなのだろうか。

気を取り直して、せっせと仕事をする。自分を鼓舞し叱咤激励し、気がつけばお昼だった。まあ、ご縁がなくなっても仕方がない。もそもと、そりが合わない相手だったのだから。と思えるところまで、気分は持ち直した。

 

午後はせっせと本や雑誌を読みちらかし、「アイスクリームの歴史」について執筆。

できあがって相手に送ったところ、「これは、ジェラートの歴史ですね。こちらの希望は、アイスクリームの歴史です。もう、アイスクリームの挿絵も用意できてるんです。これです」と送られてきた画像は、どこから見てもジェラートのそれであった。

今日は、ほんとうにこんな日なのだとあきらめる。

「私はまちがっていない!」と心の中で思い続けるのも、疲れるものなのだ。まちがっていないことを自負していても、相手との妥協点を見出さなくてはならぬ。

古代の偉人たちも登場するジェラートの歴史なんて放っておいて、面白くもないアメリカのアイスクリームの歴史を長々と書いてやろうかしらん、なんて大人げないことも考える。

しかし、それは私の中でまちがったありかたなのだから、できるはずもない。自分と相手をなだめつつ、ジェラートとアイスクリームの相違などを書きつつ、大円団に終わらせることになるのだろう。フリーの仕事なんて、こんなふうに小心者でなければ務まらない。まして、私みたいな細々と仕事をさせてもらっている身では。

見えないちゃぶ台を100回くらいひっくり返した今日だったけど、「私はまちがってない」なんて、本当はとても傲岸な思いなのだ。反省しよう。

昨日嬉しいことがあって気持ちが舞い上がったことは確かだから、それを戒めるための必然であったと思うことにしよう。

しかし、今日はなにをやっても駄目だから、これにて終了。

明日は良き日となることを祈る。

 

追伸:と言いつつ、結局すべてを書き直した。「一寸の虫にも五分の魂」だ。私にも意地がある!それにしても、アメリカのアイスの産業化を書くためにジェラートの愉しい歴史を削るのはかなりつらかった…。